日本海運史の研究
渡辺信夫歴史論集第2巻
平川 新編
日本海運史の研究 目次
T近世の交通と海運  第一章 街道と水運/第二章 近世の交通体系
U近世海運の成立  第一章 幕藩領主と海運/第二章 江戸幕府の大船禁止令について/第三章 近世海運の成立について/第四章 近世初期南部藩の廻船/第五章 津軽藩の上方廻米/第六章 南部・津軽両藩と若越海運/第七章 東廻り海運の成立に関する一考察
V近世海運の展開  第一章 河村瑞賢と海運/第二章 東廻り海運の構造/第三章 東廻り海運の廻船機構について(明和安永期の石巻穀船積荷一件を通して)/第四章 船による交通の発展
W地域と海運  第一章 開港期石巻に関する二・三の間題/第二章 東廻り海運と石巻/第三章 海運史上の酒田(河村瑞賢と北前船を中心に)/第四章 酒田港と石代納/第五章 海運史上の八戸/第六章 海運史上の岩城地方
所収論文初出一覧/未所収論文一覧/著者略歴/あとがき−平川 新



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ISBN4-7924-0520-3 (2002.7) A5 判 上製本 440頁 本体10,000円
海運史研究の指針
西南学院大学文学部教授 丸山擁成
 待望久しかった渡辺信夫氏の労作『日本海運史の研究』が、その急逝という悲報を追って刊行された。かつて氏は、従来の商品流通史研究に新たな視角・方法を提示した名著『幕藩制確立期の商品流通』(一九六六年)の刊行以降、近世海運史研究の主導的役割を果たしてきたが、引きつづき古代・中世から近世に至る海運史研究の体系化をめざし、日夜研鑚に励んできた。本書は、その突然の夭折により古代・中世の叙述予定分を割愛し、近世海運に限定してはいるが、その研究視角や方法、実証性の内実と普遍性からすれば、極めて高い水準の研究書といえよう。 その第一部は、陸上、水上(河川・海上) 両交通史を体系づけた著名な二論文からなるが、氏の交通史研究の中での海運史部分の位置づけと導入、その全体像のエッセンスでもある。第二部では、近世海運の成立期の問題が取扱われ、まず「初期豪商論」批判と、これに対置される領主々導の輸送機構の整備を論じ、そして豊臣政権による海賊禁止令、徳川政権の西国大名に対する大船禁止令の意義を究明している。また、著者によれば、河村瑞賢による東廻り、西廻り両海運の刷新事業は、豊臣期以来ひきつづく幕藩領主々導、新たな商品経済の展開に照応する全国的海運機構の拡大、確立であった。
 第三部では、東廻り、西廻り両海運の展開過程と流通構造の特質究明に力点がおかれている。特に領主的海運機構を担うのは、藩船以外に他領船である雇船が主体となり、それは買積みというより賃積みの廻船であるが、興味深いのは、仙台藩の江戸廻米船=石巻穀船をめぐる仙台四問屋仲間と江戸伝馬町の奥積問屋仲間の住吉講との紛争などである。第四部は、東廻り、西廻り両海運上に地域性からも特筆される、前記の石巻穀船を開港期から展開期に分けて詳述し、後者では、中世後期以来の自曲都市酒田の変遷、発展を最上川の河口港という側面に留意しながら、北前船の実態とからめて論じ、村山地方諸村の石代納要求と酒田港廻米請負人との関係、その他の事例を論じている。
 本書の内容は、西廻り、東廻り両海運を総体として把握しようとする論理的・実証的研究であって、今後の海運史研究の指針として斯界に寄与すること多大といえよう。
渡辺信夫著『日本海運史の研究』に寄せて
東北学院大学経済学部助教授 斎藤善之
 私は、渡辺信夫さんと同じ日本近世海運史の研究にここ十余年ほど携わってきた者であるが、一九九七年四月から仙台に移り住むことになり、その後、いろいろな機会に親しくおつきあいをさせていただいた。この間折にふれて、研究会などの場では、同じ専攻の研究者として妥協のない厳しい批判をいただくとともに、東北の海運史料の所在などについておおらかで温かい助言を賜わった。本書を読んで最初に感じたのは、そんな渡辺さんの厳しくも温かいまなざしが、この書の随所で脈打っている気がする、ということであった。
 さらに本書を読み進んで感じたことは、渡辺さんは、海運や流通の問題を、常に幕藩制国家と地域という大きな枠組みのなかで捉えようとされてきたのだ、ということであった。それは一九六〇年代の初期豪商をめぐる論争に始まり、一九七〇年代の幕藩制構造論のもとでなされた地域海運と中央市場の関係の研究から、一九八〇年代の幕藩制国家論のもとでなされた伝馬役負担と地子免許の関係、および助郷制の成立過程の追求に至るまで、一貫している(本書第T部・第U部)。さらにその間、河村瑞賢と東廻り航路・西廻り航路の成立過程の関係についても粘り強く追求され、着実な成果が積み上げられている(第V部)。そのいっぽうで、地域にも熱い視線が向けられ、従来手薄であった東北の海運史研究に大いなる光明をもたらしている(第W部) 。渡辺さんはまた、藩政文書を縦横に駆使された点に方法論上の大きな特徴があり、海運史における史料論という点でも、今なお余人の追随を許さないものがあることも特筆しておかねばならないだろう。
 しかしそうした渡辺さんのライフワークの集成は、その急逝によって、残念ながら未完となってしまった。だが幕藩制成立期(十七世紀〜十八世紀)における海運の実態と構造を、全国的視野と地域的視点を柔軟に組み合わせて通史的に捉えたこれらの研究は、今なお色あせていない。近世海運史は、ここに相当に強固な研究の土台が築かれたのである。
 なおまた、本書を読んでいくと、残された研究テーマが色々あることも見えてくる。例えば近世以前の東廻り航路の様相とか、近世後期の買積廻船の歴史的評価といった間題は、なお今後に残された研究課題といえよう。このように本書は、現在の研究が何をどこまで明らかにしており、一方どこに未解明の研究課題があるのかを、これから海運史研究を志す者たちに鮮明に指し示してくれている。そうした意味においても、本書はこれからの研究に欠くことのできない重要な意義をもつものである、といえるだろう。
渡辺信夫著『日本海運史の研究』の編集にあたって
東北大学東北アジア研究センター教授 平川 新
 東北大学名誉教授の渡辺信夫先生は、二〇〇一年一月一五日に急逝された。享年六八歳であられた。直前まで、旺盛な研究と社会活動をされていただけに、早すぎた旅立ちを無念に思うばかりである。
 渡辺先生のご研究は、一貫して東北に視座をおかれた。東北の地に生をうけ、東北で生涯をすごされた先生らしい研究スタイルだった。一九五五年のデビュー作以降の七本のご論文は、先生のご生地でもある出羽国村山郡を素材にしたものだった。農兵、一揆、紅花生産、雇傭労働、村方地主など、学界で課題となる論点を先取りしていた。村山地方はその後、多くの研究者の注目するところとなり、地主制研究や豪農論、世直し研究などの最先端地域となって、「近世史研究のメッカ」とも称されるようになった。先生のご研究は、その先導役をはたしたのである。
 村山地域史研究は幕藩制解体期に焦点をあわせたものだったが、先生はやがて、領主的商品流通の把握に関心を向けていかれた。一九六三年の「近世初期南部藩の廻船」がその最初の論文だが、三年後には単著『幕藩制確立期の商品流通』を上梓された。同著で先生は、畿内の伝統的地位や中央市場への従属構造を強調しがちな全国市場論に対し、奥羽諸藩の事例分析をふまえながら、地域の独自性に着目すべきだと主張された。いまでこそ地域性の重視はポピュラーな視点になっているが、中央優位型の解釈を先行させない地域史研究として重要なお仕事であった。
 その後、先生は海運史研究に重点的に取り組まれた。先の単著にも奥羽諸藩の初期海運に関する論考が含まれているが、東廻り海運や西廻り海運についても研究を重ねられ、海運史研究の新たな段階を切り開いていくことになった。その延長上に、陸上交通も視野にいれた交通史研究があった。
 渡辺先生が急逝されてすぐに、遺稿集のことが話題になった。ご生前に先生からも、これまでの仕事をまとめるつもりだとお聞きしていた。幸い、清文堂出版の前田成雄会長からも出版のお申し出を頂いたので、大藤修氏と私がそのご遺志をつぐことにした。大藤氏は東北地域史関係(『近世東北地域史の研究』)、私は海運史関係の編集を分担して二巻にまとめることになった。本書では、列島全体の海運状況から地域海運にまで目配りした多彩な論考を、できるだけ収めるように心がけた。
 『日本海運史の研究』という書名は、ご生前に先生が考えておられたものである。東北を愛し、海運史にこだわってこられた渡辺先生のお仕事を、ぜひ多くの方々にお目通し頂ければと願っている。
渡辺信夫略歴
1932年山形県西村山郡北谷地村(現河北町) に生まれる。
1954年山形大学教育学部社会科課程卒業。
1957年東北大学大学院文学研究科修土課程修了。
1961年東北大学大学院文学研究科博士課程国史学専攻編入学。
1962年国立平(現福島) 工業高等専門学校講師に就任。
1967年文学博士の学位取得。学位論文は著書『幕藩制確立期の商品流通』。
1967年東北大学文学部附属日本文化研究施設助教授に配置換え。同文学部助教授に併任。研究・教育は国史専攻で行う。
1967年東北大学大学院文学研究科担当となる。以後、定年まで。
1975年東北大学文学部教授(国史第二講座担当) に昇任。
1989年東北史学会会長に就任(1995年10月まで在任) 。
1991年東北大学文学部長に選出される。同大学院文学研究科長・同文学部附属日本文化研究施設長を併任。
1995年定年により東北大学を退官。
1995年東北大学名誉教授となる。
1998年放送大学教授・宮城学習センター所長就任。
200I年逝去。享年68歳。内閣総理大臣より正四位・勲二等に叙され、瑞宝賞を授与される。

※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。