熊野本願所史料
熊野本願文書研究会(鈴木昭英・豊島修・根井浄・山本殖生)編著


熊野本願方に関する貴重な史料群、すなわち(1)梅本家に伝わる「熊野新宮本願庵主文書」、(2)速玉社の摂社、神倉神社の本願比丘尼寺に伝わる「新宮妙心寺文書」、(3)那智山青岸渡寺に伝わる「那智山本願中出入証跡記録」の三種の厖大な史料群を、くわしい解説とともに活字化。


ISBN4-7924-0529-7 (2003.2) A5 判 上製本 942頁 本体26,000円
■本書の構成

史料編
熊野新宮本願庵主文書
●古文書二八二点
祈願・祈祷/神事祭礼・仏事法会/組織・職掌/社領・寺領/造営・修復/上納・借用/熊野牛玉/出開帳/補任状・免許状・請定状/その他 
●古記録二四点 ●縁起・系譜六点
熊野新宮神倉本願妙心寺文書
●一三二点
縁起・由緒・来歴/職掌/扶持・給付/相続・弟子取り/修復-勧化・配札 金子借用 軽業芸・花角力興行/祈祷・供養・講/神蔵願人/日記/その他
熊野那智山本願中出入証跡記録
●二冊本、一四七項目
本願中出入証跡之写別帳 壱/本願出入証跡文写別帳写 弐

解説編
総説「熊野本願略史」
解題「熊野新宮本願庵主文書」
解題「熊野新宮神倉本願妙心寺文書」
解題「熊野那智山本願中出入証跡記録」
解説「熊野本願寺院の遺跡と遺物」
熊野本願年表




 編者の関連書籍
 豊島 修・木場明志編 寺社造営勧進 本願職の研究

 豊島修著 熊野信仰史研究と庶民信仰史



『熊野本願所史料』の出版をよろこぶ
関西大学名誉教授 薗田香融
 熊野那智山の仁王門には「日本第一大霊験所、根本熊野三所権現」の題額が掲げられていたというが、熊野三山こそはわが国を代表する巨大霊場である。熊野を霊場たらしめてきた理由は何だろうか。まず自然環境をあげることができる。重畳たる山並み、幽遂な山や川や瀑布のたたずまい、黒潮の波洗う海岸風景等々である。しかもそれらが、政治や文化の中心地である京畿内からさほど遠からず近からず、ちょうど格好の場所に位置したという地理的交通的要因も考える必要があろう。それとともに、このような巨大霊場を霊場として支えてきた人的組織を忘れることができない。それは、全国的な規模で絶えず大勢の参詣客を動員してきた熊野の御師や先達、あるいは全国に熊野信仰を鼓吹した熊野山伏、熊野比丘尼たちである。彼らはどのような形で存在したのであろうか。これは、日本宗教史上の最も興味深い課題の一つといわねばならぬ。
 このうち、御師や先達については『熊野那智大社文書』五巻が、先年、永島福太郎博士らによって校訂復刻され、その実態がかなり明らかになった。それは、那智社を拠点とする御師家(旧社家)のうち、米良(実報院)、潮崎(尊勝院)、潮崎(廓之坊)などの諸家に伝わる文書約千五百点を集めたもので、その大半は旦那関係の文書であるが、旦那の分布は、北は陸奥・出羽から南は薩摩・大隅の全国各地に及び、その活躍の盛期は、応永より天文年間にいたる時期(一三九四〜一五五五)、すなわち室町時代にあることが解った。ここに見られる御師−先達−旦那の組織が、いわゆる「蟻の熊野詣」といわれる熊野参詣の民衆的展開を支えたのである。
 「蟻の熊野詣」が下火になった戦国期から近世初期にかけての熊野三山の運営・修造を担ったのが、諸国を徘徊する熊野山伏や熊野比丘尼を統括した本願方である。この本願方は、三山にそれぞれ所在し、本宮では本宮庵主、新宮では新宮庵主(霊光庵梅本先達)、那智では御前庵主、滝庵主、那智阿弥、大禅院、理性院、浜之宮補陀洛寺、妙法山阿弥陀寺の七ケ寺があった。以上九ケ寺が熊野三山本願中と称して本願仲間を形成し、三山の修造・勧進のことを担ったのである。これらの本願方寺院は、一山組織上は、清僧身分の衆徒・行人よりも下位の聖身分に位置付けられ、また江戸中期以来、幕府や紀州藩の政策によって次第にその権限を奪われ、衰退してしまったが、「庵主」の呼称が最も明快に事情を物語るように、かれら本願方こそ、熊野三山という霊場にとって最も特徴的かつ本来的な人的組織だったといえるのではないだろうか。
 このたび、鈴木昭英、豊島修、根井浄、山本殖生四氏の多年にわたるご尽力によって、熊野本願方に関する貴重な史料群、すなわち(1)梅本家に伝わる「熊野新宮本願庵主文書」、(2)速玉社の摂社、神倉神社の本願比丘尼寺に伝わる「新宮妙心寺文書」、(3)那智山青岸渡寺に伝わる「那智山本願中出入証跡記録」の三種の厖大な史料群が、くわしい解説とともに復刻されたことは、学界にとってまことに喜ばしい朗報といわねばならぬ。そればかりではなく、時あたかも、熊野・高野山が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録される機運のたかまる折から、本書の公刊がさらにそれを促進することを望まずにはおれない。
『熊野本願所史料』の刊行によせて
國學院大学教授 宮家 準
 本宮・新宮・那智からなる熊野三山の信仰は日本宗教史のうえに大きな影響を及ぼした。とくに院政期の熊野御幸にはじまる古代末から中世期の貴族、武士、庶民の熊野詣は、全国にひろがり、先達を仲介とした師檀関係を生み出した。そして、この先達の活動がやがて熊野修験にと発展し、それを母胎に本・当両派の教派修験が形成されていくのである。ところが中世末に、伊勢詣や西国巡礼が盛んになるにつれて、熊野詣は衰退する。
 けれどもこうした中にあって、熊野の本宮、新宮、那智の堂社の建立・管理・修繕・供花・献灯にたずさわった本願寺院では、山伏や比丘尼などに熊野願職の資格を与え、各地を勧進に廻らせた。熊野願人・熊野願者とよばれたこれらの宗教者は、熊野縁起絵巻や熊野曼荼羅をもって、各地で絵ときなどをして、熊野信仰を唱導し、勧進にあたり、他の社寺の本願寺院の活動にも大きな影響をもたらしたのである。 
 今般、平成五年以来この熊野三山の本願寺院につたわる古文書古記録の収集、整理、翻刻、研究にあたってこられた鈴木昭英、豊島修、根井浄、山本殖生の四氏によって『熊野本願所史料』が、かつて『熊野速玉大社古文書古記録』をてがけた実績のある清文堂から刊行されることになった。本書には「熊野新宮本願庵主文書」・「同神倉本願妙心寺文書」・「熊野那智山本願中出入証跡記録」が収められている。これに加えて詳細な「熊野本願略史」、上記諸史料の解題、「熊野本願寺院の遺跡と遺物」の諸論文、「熊野本願関係年表」が付されていて、本書収録の史料を通して、中世末から近代初頭に到る熊野三山の展開を、この時代の本願寺院一般の活動や修験道の動向に照らして理解出来るように工夫されている。こうしたことから本史料集が熊野三山史のみならず、本願寺院や修験道の研究に関心を持つ人々に広く利用され、これらの研究が進展することを期待したい。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。