明治維新の言語と史料
青山忠正著

本書の構成

  口絵(薩土盟約書・大久保一蔵自筆本ほか全六点)
序章 近世に「藩」はあったか
第一部 政治のなかの言語
 第一章 井伊直弼と通商条約調印
 第二章 「公武一和」システムと国事審議―文久三年の将軍上洛をめぐって―
 第三章 家茂の参内と勅語―慶応元年夏の場景―
 第四章 土佐山内家重臣・寺村左膳―「薩土盟約」と政権奉還建白―
 第五章 大阪開港―維新政府の成立と外交・貿易問題―
第二部 文体と言語
 第六章 文体と言語―坂本龍馬書簡を素材に―
 第七章 王政復古と対外関係―関連史料についての基礎的考察―
 第八章 征韓―言語と認識―
第三部 史料学的考察
 第九章 「奇兵隊日記」原本の伝存状況
 第九章補論 「奇兵隊日記」付属絵図について
 第十章 収集された近代書簡群―前尾記念文庫所蔵コレクションから―
 第十章補論 近代書簡の様式について

 口絵解説補足
 あとがき




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ISBN4-7924-0607-2 C3021 (2006.3) A5 判 上製本 290頁 本体6600円
言葉と史料を誠実に検証した成果
京都大学名誉教授 佐々木 克
 青山さんの研究で私が注目するのが、史料に表れる言語の時代性を重視することと、史料と史実の関係性を掘り下げて検証しようとすることで、まさに本書のタイトルとして掲げられた「言語と史料」に関わる点である。たとえば青山さんは毛利家家臣桂小五郎と記して長州藩士高杉晋作とは書かない。序章で述べるように幕末に藩という言葉はあったが制度として定められたものではなく、かつ当時は毛利家・島津家というのが一般の呼び方だったからである。また「尊攘派」や「公武合体派」などの表現も用いない。これらは近代に創られたもので、実態を正しく説明していないきわめてあいまいな言葉だからである。史料に記された言語すなわち「和親」と「通商」や「攘夷」と「引き戻し」(第一章)、「勅書」と「勅語」(第三章)、「開市」と「開港」(第五章)などを注視することによって、新たな史実があぶり出しのように浮かび上がってきたのである。また坂本龍馬書簡を分析した論文(第六章)の末尾で、龍馬の言語と文体から見て、かの有名な「新政府綱領八策」を龍馬の発案とするのは疑問だとする。この指摘は説得力があるが、読者はここに重要な警告に近いものが含まれていることに注意してほしい。すなわち「新政府綱領八策」は、まぎれもなく当時語られていた新政府構想を龍馬が自ら記したものだが、だからといってこの史料から直接に龍馬の思想と行動を語るのは危険だと、史料の扱いには慎重であるようにと提言していることを読み取るべきである。
 また青山さんは、私などは只ただ敬服するしかないほどのエネルギーと行動力で、史料そのものの検討、そして場合によっては原文書による確認に立ち向かう。その成果が王政復古政変への方向を決定的なものにした薩摩と土佐の盟約(薩土盟約)における「盟約書」の確定作業であり(第四章)、京都大学所蔵『奇兵隊日記』の詳細な調査である(第九章)。また第十章は、前尾繁三郎の近代書簡コレクションを調査・分析したものだが、個人のコレクションや書簡群を調査・分析・紹介する際のマニュアルを示したものともいえる内容である。研究者はもとより、文書・資料館や研究機関などで原文書をあつかう方々には、是非とも目を通していただきたい論文である。
 青山さんの論文の特質は、論理的で明快であることだが、かつ本書でみられるように、史料に人一倍誠実に向き合うという姿勢に裏付けられているから説得力がある。このような本書を、特にこれから研究者をめざす方や若い研究者の方々に推薦したいが、その理由は、本書が歴史を研究する上での大切な基礎とは何であるかということを具体的に実践して示しているからである。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。