泊園書院の明治維新
政策者と企業家たち
横山俊一郎著


日本の漢学塾は文明開化に押されて閉じられるのが普通だが、なぜ泊園書院は昭和まで存続し、日本の近代的発展をリードする企業家をはじめ多くの著名人を生んだのであろうか。〈思想家〉の視点のみならず〈政策者〉や〈実務家〉というあたらしい視点により儒学・漢学のあり方を解明するとともに、多田海庵、雨森精斎、安達清風、本多政以、尾中郁太、古谷熊三、永田仁助らをとりあげることから、「東アジアの伝統」と「西洋近代」の問題について再考を促す。




■本書の構成

  
序にかえて――漢学と近代と泊園書院…………吾妻重二

序論 大阪漢学と明治維新 
――東アジアの視座からの問い――


  第Ⅰ部 近世の〈政策者〉たち

第一章 多田海庵の海防意識 
――幕末の〈実務家〉としての儒者の一事例――
  はじめに 前半生(海庵の略歴 『東門日乗』) 著述と献策 徳川斉昭への献策 土岐鋭雄への献策 姉小路公知と学習院への献策 おわりに


第二章 多田海庵の政教構想 
――諸教折衷とそれを支える「三徳」観――
  はじめに 『国体一覧』――その論理と全体構成(論理 全体構成) 政治実践との関わり 財政再建をめぐって 「宋朝」と「楠公」 おわりに


第三章 雨森精斎の政治実践 
――幕末維新の〈実務家〉としての儒者の一事例――
  はじめに 幕末の略歴 公議所法則案改正委員――泊園塾と咸宜園の人々 維新の公議人として(人材論 宗教論) 連続する通念――幕末の献言から(学校論 外交論) おわりに


第四章 安達清風の学術交流と開拓事業 
――泊園塾・昌平黌出身者の実践的軌跡――
  はじめに 幕末の略歴 学術交流の実態(大坂・江戸遊学 水戸遊学) 維新の開拓者として 士族授産を超えた構想と実践(有功学舎の創設 有功学舎の発展) おわりに


補章 山田孝堂の学術と実践 
――幕末の懐徳堂・泊園塾と維新の〈実務家〉――
  はじめに 幕末の略歴 維新の〈実務家〉として 大坂遊学の実態 富国への対応 おわりに



  第Ⅱ部 近代の〈企業家〉たち

第一章 男爵本多政以の思想と事業 
――泊園学と禅宗――
  はじめに 本多の略歴(家系と父親 修学と交友 事業と役職) 徂徠学から臨済禅へ(「医匠」としての「君子」――南岳の書簡から 「疑団」による「見性」――洪川の書簡から) 参禅ネットワークと住友の経営者たち 照顔講と葵機業場――本多の事業活動の両輪(照顔講の運営 葵機業場の運営) おわりに


第二章 山口県佐波郡における泊園書院出身者の事業活動の一考察 
――実業家尾中郁太・古谷熊三を中心に――
  はじめに 尾中の略歴(家系と父親 修学と事業) 銀行取締役当時の尾中の意識(「天職」としての支那開発 「尊崇」すべき岳飛、曾国藩、そして孔子) 銀行創設以前の古谷の意識(世界観 社会観 人間観) おわりに


第三章 永田仁助の経済倫理 
――天人未分と武士道の精神――
  はじめに 永田の略歴(家系と父親 修学と事業) 国家・社会・歴史――その対峙の仕方(臣民と公道 独立と中和 進歩と克己) 天人未分の境地――生死と富貴を決するもの 成金と武士――拝金の克服に向けて おわりに


補章1 泊園書院の教育と明治・大正期の実業家
  
はじめに 泊園書院出身の〈企業家〉たち(大阪商人――企業勃興期を中心に 地方地主――山陽地方を中心に) 南岳のいう愛国と国体 南岳のいう自由と自治 南岳のいう自欺と廉恥 南岳のいう人情と時措 おわりに

補章2 藤澤南岳の世界認識に関する考察 
――正徳・公平・天人の諸概念を中心に――
  はじめに 「正徳」に西洋の「実理」を読む――聖賢が語る理想を目指して 「公平」に西洋の「実験」を読む――私利を排しつつ公利を求めて 「天人」に西洋の「真実」を読む――宗教および政教間の対立を越えて おわりに


結論  泊園書院の人々による変革と儒教 
――近世・近代を生きた〈実務家〉たちの実践的軌跡――

  
参考文献一覧 初出一覧 あとがき 索引




  ◎横山俊一郎(よこやま しゅんいちろう)……1984年兵庫県生まれ 早稲田大学第一文学部卒業 関西大学大学院東アジア文化研究科博士課程修了 現在、関西大学非常勤講師 関西大学博士(文化交渉学)


  本書の関連書籍
  吾妻重二監修・横山俊一郎著 泊園書院の人びと




ISBN978-4-7924-1085-8 C3021 (2018.3) A5判 上製本 口絵4頁・本文326頁 本体7,800円

  
漢学と近代と泊園書院

関西大学文学部教授 吾妻重二

 泊園(はくえん)書院は、江戸時代後期に大坂市中に開かれた漢学塾であって、懐徳堂や適塾に並ぶ私塾として有名であった。関西大学の知的ルーツの一つとなった学問所でもある。漢学塾は明治維新を迎えると早晩閉じられるのが普通だが、戦後の昭和二十三年まで続き、しかも有為な門人をあまた輩出したのであって、これは懐徳堂が明治二年に、適塾が明治元年に閉じられてしまったのとはいちじるしい対照をなしている。

 泊園書院は、なぜ昭和まで存続したのであろうか。このことは、広くいえば東アジアの伝統文化は近代世界とどのように交差しているのか、という問題と深くかかわりあっている。「儒教・漢学」と「西洋近代」――両者を相い対立するものとしてとらえるのが一般的な見方であるが、しかし実際にはどうなのであろうか。思いつくままに例を挙げても、水戸藩で編纂された『大日本史』、頼山陽の『日本外史』も漢文で書かれている。そればかりか、杉田玄白・前野良沢が訳した『解体新書』もそうである。この書はオランダ語の『ターヘル・アナトミア』を訳したものなのだが、訳された言語は和文ではなく、漢文であった。漢学と洋学とは必ずしも矛盾していなかったことになる。

 さて、儒教は漢学の中心をなすものであり、自己修養を基本として政治面に貢献していくことを求めるものであった。本書は儒者が本来はぐくんできた〈政策者〉というあり方が近代の〈企業家〉というあり方にどのように脱皮していくかを考察した力作である。第一に、儒者に関して、これを〈政策者〉とするカテゴリー設定そのものが斬新である。儒者は、思想の理論化を目指す〈思想家〉であり、思想の実現を目指す〈政策者〉〈実務家〉でもありうるわけだが、後者の視点による日本儒学・漢学研究はきわめて少ない。ここには日本の儒学・漢学のあり方を解明する一つの道筋が示されているともいえよう。

 第二に、こうしたカテゴリー設定による新しい事例の発掘が挙げられる。第三に、儒教は近世・近代の東アジア世界においてどのような政治的・社会的機能を果していたのかにつき、重要な筋道が得られたことがある。江戸時代後期における〈政策者〉としての儒者の台頭と、明治時代以降における〈企業家〉の活躍の指摘は、「東アジアの伝統」と「西洋近代」の問題につき再考を促すものといえる。第四に、泊園書院という学問所の解明に貢献している点が重要である。

 筆者の横山氏は早稲田大学文学部および大学院で日本史と近世日本経済史を学んだあと、関西大学大学院に進学し学位を取られた新進の若手研究者である。近年における泊園書院研究の成果をふまえてこれを発展させ、新たな研究をまとめられたのであって、ここにその指導教授としてその労を多とし推薦する次第である。是非、ご一読いただきたい。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。