■【築城四百年】徳川大坂城をさぐる
城・人・城下町 
大阪公立大学大坂城研究会編
大澤研一・仁木宏監修 


大坂城といえば豊臣大坂城の印象が強いが、大坂の陣で焼け落ちた豊臣大坂城を埋めた上に築かれた徳川大坂城が現在の大阪城の基礎をなしている。大坂城の地盤構造や縄張り、築城技術、作事、障壁画を扱う第一部と、大坂城を拠点とした西国支配の実情、普請への町人の関与、定番を務めた大名と家臣団、出入り町人の実態を論じる第二部に分けて、徳川大坂城を多角的に徹底解剖する。






■本書の構成


 口 絵

 はしがき…………大澤研一・仁木 宏



第一部 徳川大坂城の築城と構造

第一章 上町台地の地盤と大阪城本丸地区盛土の特徴…………市川 創・三田村宗樹

第二章 徳川大坂城の縄張りを読み解く…………中井 均

第三章 発掘調査結果からみる徳川大坂城…………櫻田小百合

第四章 徳川大坂城の作事と大工…………谷 直樹

第五章 徳川大坂城の障壁画…………岩間 香


第二部 徳川大坂城をめぐる支配と都市・村落

第六章 徳川政権成立史における「徳川再築大坂城」…………宮本裕次

第七章 徳川大坂城の普請と大坂町人…………大澤研一

第八章 和泉国伯太藩渡辺家と大坂定番…………齊藤紘子

第九章 大坂城内の下掃除と御用商人、近郊農村…………島﨑未央

 解題・解説…………仁木 宏




  ◎大澤研一…………1962年生 大阪歴史博物館長
  ◎仁木 宏…………1962年生 大阪公立大学大学院文学研究科教授


ISBN978-4-7924-1522-8 C0021 (2023.12) A5判 並製本 口絵2頁・本文278頁 本体3,800円

  
徳川大坂城とは何か 『【築城四百年】徳川大坂城を探る―城・人・城下町―』に寄せて
兵庫県立歴史博物館長 藪田 貫  

 本書の解題・解説で、監修者のひとり仁木宏は、「現在の大阪城にはどこか距離感を感じてしまう」と記している。私なりに忖度すればその理由は、現在の大阪城には豊臣と徳川、二つの時代のイメージがオーバーラップしてしまうことにあるのだろう。たしかに、特別史跡とされる徳川大坂城の遺構の上に、豊臣大坂城を模した天守閣が鉄筋コンクリート製で建てられて現存するのであるから、統一したイメージを結ぶことは難しい。そんな困難は、同じ特別史跡である姫路城や熊本城・名古屋城などにはない。

 しかしその始まりは古くない。一九五九(昭和三四)年に実施された大阪城総合学術調査によって、本丸地下で埋められた石垣が発見され、さらに翌年、大工頭中井家関係資料から豊臣大坂城の本丸図が発見されることで、かの石垣が豊臣大坂城のものと認定されたのが、その起点であった(中村博司『大坂城全史』ちくま新書、二〇一八)。

 下層に豊臣大坂城跡が、上層に徳川大坂城跡が併存することで、大坂城の歴史は上下に二分されることとなった。後者でいえば築城、とくに石垣普請の解明が、考古と文献の共同作業によって進み、『大坂城再築と東六甲の石切丁場』(大阪歴史学会、二〇〇九)などの成果が生まれているが、本書ではさらに、非破壊検査による盛土地盤や排水網、石敷遺構・縄張りにも追究の手が及んでいる。その結果、豊臣大坂城からの築城技術の進化や、江戸城との共通性が指摘される。

 さらに重要文化財でもある大工頭中井家資料による御殿の作事と障壁画の格式に関する分析は、建築史と並んで美術史が、城郭史にとっていかに重要かを教える。くわえて二条城本丸や二の丸、江戸城・名古屋城との比較は、公儀の城として徳川大坂城を位置付けることを求める。

 そこには当然、歴史学の寄与が求められるが、問題は「江戸時代の大坂城は、普通の城郭が持っている城主の居城に収斂される求心力を持たなかった」(中村博司前掲書)ことにある。その意味で徳川大坂城の解明には、豊臣大坂城とは異なる視点が必要となる。

 すでに大阪城天守閣では特別展「徳川大坂城 西国支配の拠点」(二〇〇八)を開催するとともに、一九九七年に始まり現在に続く「徳川時代大坂城関係史料集」の刊行という蓄積を持つ。一方、いま一人の監修者大澤研一率いる大阪歴史博物館も二〇〇八(平成二〇)年、大阪大学総合博物館と連携して特集展示「城下町大坂」を開催し、絵図と地図からみた武士の姿を明らかにした。本書には、その二つの潮流が成果として収められている。

 徳川大坂城とは、なによりも西日本最大の軍事拠点であり、それが特定の施設と機構によって支えられていたことに最大の特徴がある。平時については本書で一つの見通しが得られたが、有事は未開拓である。幕末の大坂城を含め、徳川大坂城という課題への挑戦は始まったばかりである。


※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。