近江商人の経営と理念
三方よし精神の系譜 
末永國紀著 


近江の持つ歴史的基盤、地理的有利性と並んで、郷党の若者への物心両面の支援という人の和があったことを強調した、天地人説ともいうべき考え方を説いた論考を序章にすえた、海外をもふくめた史料調査の集大成。高利よりも永続を希求する現代日本企業のエートスとなっている〝三方よし精神″を一筋の糸として編まれた、近江商人史研究の決定版。




序 章 近江商人、または江州商人発祥の基盤 
はじめに
第一節 近江商人、または江州商人とその略史
第二節 商人団体結成による団結
第三節 近江商人出現の社会的基盤
むすびに


第一章 近江商人の売掛金・貸金訴訟手続き
はじめに
第一節 日野商人にまつわる過誤記述
第二節 正徳二年の日野町内の所替え
第三節 評定所の金公事
第四節 島﨑善兵衛家と中井源左衛門家の金公事
むすびに


第二章 近江商人の金公事裁許と享保の相対済令
はじめに
第一節 八三件の金公事裁許
第二節 日野商人の金公事裁許
第三節 享保の相対済令と金公事裁許
むすびに


第三章 外村与左衛門家の蓄積と家訓
はじめに
第一節 蓄積過程
第二節 外村与左衛門家の幕末期の家訓
むすびに


第四章 松居久左衛門家の蓄積と出世證文・御礼證文
はじめに
第一節 松居久左衛門家の蓄積と思念
第二節 松居遊見の出世證文と御礼證文
むすびに


第五章 矢尾喜兵衛家の蓄積過程と理念
はじめに
第一節 系譜と蓄積過程
第二節 矢尾家の石門心学
むすびに代えて


第六章 野田六左衛門家の蓄積過程と家訓店則
はじめに
第一節 系  譜
第二節 純資産の蓄積過程
第三節 店員の有り様
第四節 家訓と店則
むすびに


第七章 中村治兵衛宗岸の「書置」と「家訓」について
はじめに
第一節 中村治兵衛家の家系と家業
第二節 中村治兵衛宗岸の書置と言置
第三節 「宗次郎幼主書置」と井上本の宗岸「家訓」の考証
むすびに


第八章 江戸期における小林吟右衛門家の商いと理念
はじめに
第一節 丁子屋初代小林吟右衛門家の出店
第二節 丁吟二代目吟右衛門と両替商伊勢屋藤兵衛の倒産
第三節 店則と商いの手法
むすびに


第九章 三代目小泉重助の経営と為人(前編)
はじめに
第一節 小泉一統の系譜と大阪出店
第二節 立木森之助の軍隊生活
第三節 選定養子の三代目小泉重助
第四節 小泉合名会社の設立
第五節 小泉合名会社の変遷
第六節 個人商店小泉重助商店の発足
第七節 小泉新兵衛と小泉精三の欧米遊学
第八節 三代目重助と「福」の婚儀
第九節 新妻「福」の日記
むすびに


第十章 三代目小泉重助の経営と為人(後編)
はじめに
第一節 小泉重助家の正味身代の推移
第二節 大阪店の経営
第三節 欧米視察と堅実経営
第四節 個人商店から株式会社へ
第五節 三代目重助の為人
むすびに


第十一章 初代伊藤忠兵衛の大阪時代
はじめに
第一節 大阪と近江商人
第二節 初代伊藤忠兵衛
第三節 店員の処遇
むすびに


第十二章 近江商人の妻たち
はじめに
第一節 西谷「なを」
第二節 伊藤「八重」
第三節 塚本「さと」
むすびに


第十三章 太平洋戦争期における下級商店員の生活史
はじめに
第一節 佐川茂の生い立ち
第二節 入店直後の三年間の日記
第三節 少年佐川茂の為人
第四節 店員生活と家庭生活
むすびに代えて


終 章 近江商人の三方よし精神についての考察
はじめに
第一節 小倉栄一郎の一般書の論評
第二節 三方よしの語源考
第三節 江戸期の三方よし精神
第四節 七里恒順と伊藤長堂
むすびに




  ◎末永國紀(すえなが くにとし)…1943年 福岡県生まれ 佐賀県出身 現在、同志社大学名誉教授・(一財)近江商人郷土館館長



 
◎おしらせ◎
 中日新聞に本書の記事が掲載されました(2024年4月5日)
 近江商人研究の集大成 完成

 滋賀報知新聞に本書の記事が掲載されました(2024年4月11日)
 三方よし研究の集大成




ISBN978-4-7924-1526-6 C3021 (2023.12) A5判 上製本 958頁 本体22,000円
 近江商人という人々は、商工の民が歴史に登場する鎌倉・室町期には初期近江商人として現れ、江戸期に入ると本格的近江商人が出現し、以後、明治、大正、昭和戦前期までの長期間に亘って商業活動に従事した人々であり、日本の経営の背骨を築いた存在であるといっても過言ではない。

 本格的な近江商人の登場する江戸期以後の経営手法は、本宅を近江に構えたまま、他国への商品携帯の持下り商い(卸行商)に始まり、やがて出店を開く段階に成長すると、持下り商いの大規模化した現代商社活動の先駆ともいえる諸国産物廻しの商法へと拡大した。

 江戸時代における、近江商人の活動範囲を出店開設地からみると、北海道から九州におよんでいる。このような広域志向性は、単に活動地域のみでなく、営業種や取扱商品の範囲も広いという意味で、近江商人の特性を、〝在地性を維持した広域志向性〞にあるとする持論に変わりはない。この広域志向性こそが、持下り商いや諸国産物廻しの商法、奉公人制度としての在所登り、複式簿記原理の店卸勘定帳の記帳、三方よし精神の家訓制定といった、独自の経営システムを生み出したのである。

 終章では、江戸期の近江商人の三方よし精神の到達点を、二代目中井源左衛門光昌の「中氏制要」と、慶応二年刊行の『世俗弁利抄』の条文によって逐一検討した。結果、江戸時代の近江商人が己の役儀を、農工の民が辛苦して生み出した五穀器財の需給を調整して、万人の御用を務めることにあるという、商いの社会的役割と意義を明確に自覚していたことを顕示した。とくに『世俗弁利抄』が、その商人の道論のなかで表明している、「正直の交易を立柱として、世の為人の為商売をする」という商人の役儀の自覚は、「世間よし」を特徴とする三方よし精神そのものといえる。

 このような三方よし精神は、近代においても引き継がれた理念であった。その一つの事例は、複雑な家督承継を経て本家伊藤長兵衛家の八代目を継ぎ、大正十年(一九二一)に㈱丸紅商店(現・総合商社丸紅㈱の前身)の初代社長となった伊藤長兵衛長堂の、極大利潤を求めるのではなく利を分かち合う、「共存共栄」という企業理念のうちに見出せることを、明治の大徳七里恒順への私淑交流を通じて明らかにした。

 本書は、一五編の論考の章立てからなっている。全編を貫いて縫いこまれた一筋の糸は、三方よし精神との関わり合いである。三方よし精神、それは高利よりも永続を希求する現代日本企業の、正にエートスとなっているといえよう。

 今回の出版は、惜しくも端折らざるを得なかった論説や、なお書き洩らした事柄も多くあるものの、もはや人生の玄冬に近く、少しでも壮健のうちにひとまず筆硯を洗うべきと判断して、刊行に踏み切ったものである。


  (本書「あとがき」より抜粋)
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。