尾張藩社会の文化・情報・学問
岸野俊彦著
従来、通史や概説に生かされることの少なかった尾張藩研究。その結果、ともすれば「畿内近世史」「関東近世史」へと二極化しがちだった「近世史」の構成に、著者は「藩社会」の概念を活用して一石を投ずる。「暖流と寒流のぶつかる所に様々な多くの魚が集まるように」(著者)多士済々の人士が東西の結節点で織り成す文化を活写する。


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岸野俊彦編・『膝栗毛』文芸と尾張藩社会


ISBN4-7924-0527-0 (2002.10) A5 判 上製本 402頁 本体9200円
■本書の構成
序章 尾張藩社会の文化展開
第一部 文化・情報と尾張藩社会
第一章 「鳴海下里日記」にみる尾張商人の文化基盤/第二章 尾張藩儒者秦鼎と飛騨屋久兵衛の情報交換/第三章 名古屋商人、内田蘭渚の文化的世界/第四章 落書の展開と尾張藩政治/補論1 『狂歌弄花集』と女性/補論2 「ええじゃないか」と落書
第二部 尾張藩社会の自己認識と思想
第五章 近世的地誌の成立と著者群像―尾張・三河の場合―/第六章 『尾張名所図会』と『三河国名所図会』の交流―岡田啓と夏目可敬の交友―/第七章 尾張垂加派、堀尾春芳の生涯/第八章 民間宗教者の地誌編纂、吉田正直の世界
第三部 医療の展開と尾張藩社会
第九章 医療都市名古屋と尾張藩社会/第十章 名古屋蘭方医、野村立栄の医療・情報活動/補論3 幕末維新期の尾張の学問と医学/史料 『天保五年医家姓名録』(抄)

歴史の全体像のなかに尾張藩社会の文化性を究明する
専修大学文学部教授 青木美智男
 尾張藩の政治や文化の研究者というと、歴史・文学では所三男さんや服部徳次郎さん、そして近世文学の市橋鐸さんなどの名前がすぐ浮かぶ。それぞれが個性豊かに見えて、尾張藩社会が生んだ学問や文化への思い入れの強さという点で共通している。しかも実証的で近世以来の名古屋学の伝統を受け継いでおり、他地域の研究者の介在を許さない学問的雰囲気を持っている。だからであろうか、尾張藩研究は、加賀藩や水戸藩の研究などと比較すると、研究蓄積の豊富さの割には、通史や概説に生かされず普遍性を持つものが少ない。
 こうした研究状況を脱却し、尾張藩研究の新たな地平を切り拓こうという試みは、林英夫さんや塚本学さんらによってなされてきたが、残念ながら十分とは言いがたかった。なぜならお二人もまた個性的な研究を堅持してきたからである。その点で、岸野俊彦さんは大きく違う。白己の尾張・三河における近世思想史研究を深めつつ、同時に尾張藩社会の政治・社会・文化に強い関心を持つ研究者らとの共同研究を通して、さまざまな分野で実証的な成果をあげてきた。それの成果が、『「膝栗毛」文芸と尾張藩社会』(清文堂) であり、『尾張藩社会の総合研究』(同)であろう。この結果、これまで歴史や文学、そして医学などでそれぞれ別個の関心でなされてきた研究課題が、歴史の全体像のなかに位置づけられ、新たな社会像や人間像が描かれて、尾張藩社会の豊かな文化性を明らかにされた。
 この度の『尾張藩社会の文化・情報・学問』は、岸野さんのこうした基本姿勢をべースにした研究努力の集大成である。井原西鶴、松尾芭蕉、本多利明、葛飾北斎など、歴史を彩る人物たちが、尾張藩社会の文化や社会活動と深く結びつき、相互に影響しあい新たな文化を形成してきたことを自ら発掘した新史料に基づき鮮明に描いている。これによって尾張藩社会に関する研究が全国的に大きな関心を持たれることは問違いなかろう。多くの近世史研究者だけでなく、近世文学を始めとする他分野の方々にもお勧めしたい研究書である。
近世史の全体構成を揺さぶろうとする成果
早稲田大学文学部教授 深谷克己
 近年、尾張藩研究が目を見張るような成果をあげている。岸野俊彦『幕藩制社会における国学』(校倉書房)、岸野俊彦編『「膝栗毛」文芸と尾張藩社会』(清文堂) 、岸野俊彦編『尾張藩社会の総合研究』(清文堂) などである。愛知県史・名古屋市史など自治体史編纂も盛んで、岸野氏を中心とする研究グループの成果も、独白の研究会の積み重ねとともに、それら自治体史の成果の上に生まれていることを執筆者たちが認めている。
 個人研究・共同研究のちがいはあるが、一連の尾張藩社会研究を推進させている情熱の源泉を、岸野氏は「あとがき」で明らかにしている。尾張藩・都市名古屋などを無視した東西二極論的近世史像を、この地域に研究・教育活動の足場をおく者の視座から批判・克服する、というものである。江戸時代史あるいは限定された一定期間の近世史の通史叙述を何度かこころみてきた私は、まことに痛いところをつかれた思いがする。
 一般に我々が近世史像を思い浮かべようとする時、その認識の土台をつくっているのは、いわば「畿内近世史」と「関東近世史」である。岸野氏の言う東西二極の近世史像とは、西と東での生活習俗の違いというより、「畿内」と「関東」を中核にした近世史の全体構成ということである。たとえば近世通史の元禄文化は「上方」(大坂・京都)のものであり、それの「東漸」の結果として江戸文化の成長を説明する。出版点数の逆転などがその好例となる。真ん中の名古屋でそれがどうなったかという視点はない。「畿内」と「関東」に重点をおく近世史像は、当時の政治・社会のあり方や、現在までの研究状況を考えると、それなりの根拠はある。しかしその視野が大きな見落としをともなっていたことはまちがいない。岸野さんたちは、そこに異を唱え、淡々と具体的な研究を発表することで訂正をせまっている。本書もそうした成果の一つである。この意味で、近年の尾張藩社会研究の成果は地域史研究の成果であると同時に、日本史としての近世史像を大きく揺さぶろうとしている成果なのである。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。