近世北日本の生活世界
北に向かう人々
菊池勇夫著


松前は「蝦夷地」ではなく、「北奥州松前」という呼び方が示すように、奥州の一部という感覚であった。本書は、北東北(とくに津軽・南部)および松前・蝦夷地に住む民衆的な人々の生活世界に目を向け、その様相をいろいろな角度から明らかにする論考を収録する。生活民俗史的領域へ大きく踏み込み描かれる、北に向かう民衆のリアルな姿は、あらたな民衆史といえる。


■本書の構成

序 章 北の民衆の生活世界へ

第一章 鷹の捕獲技術について
 ―江戸時代の北日本を中心に―
  はじめに/『奥民図彙』の「鷹待之図」/真名板淵鳥屋の維持管理/ムソウアミ(無双網・無双羅)/巣鷹を取る


第二章 寛保の松前大津波
 ―被害と記憶―
  リアリティーの欠如/寛保津波の発生と被害実態/寛保津波の体験と記憶/災害番付のなかの寛保津波/結びにかえて


第三章 蝦夷地のなかの「日本」の神仏 
―ウス善光寺と義経伝説を中心に―
  はじめに/ウス善光寺如来の信仰/蝦夷地の義経物語/おわりに


第四章 南部屋(浅間)嘉右衛門と飛騨屋
 ―蝦夷地の利権をめぐる争い―
  はじめに/大畑店の下代嘉右衛門/南部屋嘉右衛門と松前藩/盛岡藩引き渡しと松前藩貰い受け/勘定下役浅間嘉右衛門と飛騨屋公訴/おわりに


第五章 ラクスマン来航と下北の人々
 ―菅江真澄を手掛かりに―
  菅江真澄とラクスマン来航/『かたゐ袋』の断章とその典拠について/佐井漂流民の子孫帰国の風聞/「魯斉亜風俗距戯唄」について/岩屋の浦に寄せるエカテリナ号/赤蝦夷・赤人感覚について


第六章 『模地数里』に描かれた松前
 ―長春丸・女商人・馬―
  はじめに/『模地数里』・『陸奥日記』について/御用船長春丸―赤塗りの船(赤船)・日の丸の帆―/働く女たち―アツシ・れんじゃく―/松前の馬―野飼い・馬追(馬子)・菖蒲乗―/おわりに


第七章 松浦武四郎『蝦夷日誌』にみる松前・蝦夷地の沿海社会 
―一八四〇年代の様相―
  沿海社会としての松前・蝦夷地/『蝦夷日誌』一編(初航蝦夷日誌)―松前城下からアッケシ・ネモロまで―/『蝦夷日誌』二編(再航蝦夷日誌)―松前城下からソウヤ・シレトコ、カラフトまで―/『蝦夷日誌』三編(三航蝦夷日誌)―シコタン、クナシリ、エトロフ―/小括―動態的変化について―


第八章 万延元年蝦夷地場所引継文書の紹介と検討 
―仙台藩分領、とくにクナシリ場所を中心に―
  はじめに/内閣文庫所蔵『庚申万延元年蝦夷地御領分御引受留』について/蝦夷地分領の引き継ぎ重要事項―「演説書」の内容―/幕末期におけるクナシリ場所の実態/おわりに


  あとがき/索引






◎菊池勇夫(きくち いさお)……1950年、青森県生まれ 現在、宮城学院女子大学教授




  著者の関連書籍
  菊池勇夫著 東北から考える近世史

  菊池勇夫・斎藤善之編 交流と環境(講座 東北の歴史 第四巻)

  菊池勇夫著 道南・北東北の生活風景―菅江真澄を「案内」として―


 ◎おしらせ◎
 『日本歴史』第833号(2017年10月)に書評が掲載されました。 評者 榎森 進氏


 『弘前大学 國史研究』第143号(2017年10月)に書評が掲載されました。 評者 上田哲司氏



ISBN978-4-7924-1061-2 C3021 (2016.11) A5判 上製本 316頁 本体7,800円

  北の民衆の生活世界を多角的にみていく


宮城学院女子大学教授 菊池勇夫  

 北東北(とくに津軽・南部)および渡島半島南部(松前)の地域に住む民衆的な人々の生活世界に目を向け、その様相をいろいろな角度から明らかにしようとした論考を収録している。青函トンネルで結ばれ、新幹線も走るようになったから、両地域が海峡によって分断されているというイメージはだいぶ変わりつつあると思うが、歴史的にみれば、懸隔していたというより連続・一体的な地域であったとみるべきである。

 すでに指摘されてきたように、さかのぼれば縄文の時代から深いつながりがあったものであるが、一七世紀〜一九世紀半ばの江戸期日本(近世)の地域史的景観においてもまた、そのようにいうほかなかった。松前はもはや「蝦夷地」ではなく、たとえば「北奥州松前」という呼び方が示すように、奥州の一部という感覚であった。北東北の人々は海峡を越えて北に働きに行くことを「松前稼ぎ」と称して隣接・親密感を持っていた。クナシリ島やエトロフ島など遥か遠くへおもむく場合でも、松前を必ず通っていかねばならない決まりになっていたから、やはり「松前稼ぎ」であった。

 北東北・松前の人々の暮らし向きは皆がそうではないにしても、その働く場をさらに北方の、アイヌの人々が住む「蝦夷地」へと広げていった。初めは鷹や砂金であったが、やがて鮭・鰊漁や昆布漁、あるいは材木業などの進展がその契機となった。そうした民衆的な人々をアイヌの人々と区別して和人民衆と呼んでおこう。

 むろん和人民衆が自由自在に「蝦夷地」に入り込めたわけではない。アイヌ交易・蝦夷地産物に財政基盤をおく松前藩の成り立ちや、国内市場を背景とした商人の旺盛な経済活動があってのことであった。当然ながら、交易や労働の場においてアイヌの人々と接することとなった。また、一八世紀半ば以降になるが、日ロ関係が新たに発生してくるという事情のもとでは、松前藩や東北大名の軍事動員を介して警衛体制のなかに組み込まれたし、漂流民として日ロ関係の歴史に足跡をとどめることともなったのである。

 これら諸々の事柄が和人民衆の生活や活動を促し、あるいは束縛している。そのことを捨象せずに、北に向かう民衆のリアルな姿を全体的に示していきたいというのが趣旨である。まだ、体系的に捉えるまでには至っていないが、その道程の一作業と受け止めていただきたい。これまで民衆史がさまざまに語られ試みられてきたとはいえ、生活民俗史的領域への踏み込みが明らかに不足していた。歴史と民俗の間を埋めようという目論見でもあるが、その点では同じく清文堂刊の前著『東北から考える近世史』に続く一冊である。合わせて読んでいただければありがたい。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。