新しい中世古文書学 総論編
アーカイブズとしての古文書
上島 有著


文書を単体の「かたち」→「かたまり」=群→「かさなり」=層という三次元にわたってとらえ、静態・動態両面にわたって観察する。文字情報以外の「もの」としての情報価値の保全にも努め解析しなくてはならない、との立場からアーカイブズ学としての新しい古文書学を構築する。




■本書の構成

序 章 新しいアーカイブズ学としての中世古文書学
    
アーカイブズ・アーカイブズ学とその研究分野  古文書の特殊的性格とその研究分野・ライフサイクル  文献としての古文書の特殊的性格  新しい古文書学の研究分野と機能論――文書史全体の「働き」を論ずるのが機能論――


第一部 新しい中世古文書学

第一章 文書・古文書と中世古文書学
    
新しい文書・古文書と古文書学  相田二郎『日本の古文書』――「もの」としての古文書――  佐藤進一『古文書学入門』――史料としての古文書――

第二章 古文書の伝来・伝来論
    
新しい古文書の伝来  相田二郎氏の「古文書の伝来」  佐藤進一氏の「古文書の伝来」  古文書の「本質的効力」とは何ぞや――従来の古文書学の根本的な問題点――  新しい伝来論のまとめ

第三章 古文書の様式・様式論
    
新しい古文書の様式・様式論  従来の古文書の「様式・様式論」  古文書の様式分類

第四章 古文書の機能・機能論
    
機能論研究の提起  「文書史」とは何ぞや――作成から保存にいたる全過程が「文書史」――  「文書史の目的」とは――文書史とは文書の機能を明らかにすることなのか――  文書の機能は現用段階の文字情報だけか  文書はふつう「かたまり」として機能する  機能論とその問題点  その後の機能論――機能論提案の「拡大解釈」――

第五章 相田二郎・佐藤進一両氏とその古文書学
    
相田二郎氏とその古文書学  佐藤進一氏とその古文書学


第二部 中世古文書学とその史料論化

第一章 史料論としての中世古文書学
    
古文書学固有の本格的研究の欠如  新しい史料論・史料学の提起  新しい中世史料論の研究㈠――村井章介「中世史料論」――  新しい中世史料論の研究㈡――アーカイブズ学への胎動――

第二章 佐藤進一「中世史料論」
    
「文書概念の再検討」について  「新様式の開発」について――文書様式抜きの「新様式の開発」――

第三章 最近の中世史料論
    
政治体制論・国家論を意図した発給者別分類なのか  古文書学には古文書学固有の課題がある  政治体制論や国家論は古文書学の課題ではない  いくつもある古文書体系論も古文書学の課題ではない  意識的・意図的な発給者別分類なのか

第四章 最近の中世史料論の林屋・上島論文批判 
――佐藤論文抜きの批判――
    
林屋論文と佐藤論文  富田論文の林屋論文批判――基本問題抜きの批判――  佐藤論文の意識的無視――富田論文は完全に破綻――  富田論文の上島論文批判

第五章 本書全体のまとめ
    
文書は「もの」として作成される  文書の特殊的性格――従来の古文書学で完全に見落とされていた観点――  文書の本質的効力とは  その他の重要な論点  古文書学と史料論の同化

あとがき ――新しい中世古文書学を目ざして――





  ◎上島 有
(うえじま たもつ) ……1924年 三重県生まれ。京都府立総合資料館古文書課長などを経て、現在 摂南大学名誉教授 文学博士(京都大学)





  シリーズ既刊
  上島有著 新しい中世古文書学 料紙総論編 ―アーカイブズとしての古文書―

  シリーズ第三巻「アーカイブズ論編」も鋭意、編集作業中です。





ISBN978-4-7924-1091-9 C3321 (2018.9) B5判 上製本 316頁 本体9,500円

  
アーカイブズ学として古文書学を体系化した金字塔

 東北大学名誉教授 大藤 修

 アーカイブズは、組織体や個人が活動の過程で生み出す一次的な記録情報資源、およびそれを保存・公開する施設を意味する。この記録情報資源には、過去の古文書から近年の公文書、企業文書、映像記録、電子記録まで多様なものが含まれるが、それぞれの情報資源としての特性を正確に認識し、適切に整理、保存管理して、人類共有の文化遺産としてさまざまな利用に供するには、科学的な裏付けとなる独自の学問体系が必要である。

 しかしながら日本では、史料館、文書館、公文書館などと称するアーカイブズが設立されるようになったのは第二次大戦後であり、アーカイブズ学への取り組みも一九八〇年代半ばになってようやく始められたにすぎず、まだまだ未熟な学問分野にとどまっている。一方、日本の古文書学は、明治末以来の伝統ある学問分野であるが、古文書をもっぱら文字史料とみなし、個として観察して、その様式分析を中心課題としてきた。だが文書は、固有の形を備えた「もの」として発生し、相互に有機的に連関する文書群を形成して伝存している。

 上島 有氏は、一九六七年に京都府立総合資料館が受け入れた東寺百合文書の整理に携われた経験から、従来の古文書学の欠陥に気づかれ、アーカイブズ学が提唱されるようになると、アーカイブズ学としての新しい古文書学の構築に精力的に取り組まれてきた。

 上島氏が一貫して追求されてきたのは「もの」としての古文書学であり、文書を単体の「かたち」→「かたまり」=群→「かさなり」=層という三次元にわたってとらえ、静態・動態両面にわたって観察し、文字情報以外の「もの」としての情報価値の保全にも努め、解析しなくてはならないとの見地に到達された。二〇一五年刊行の『中世アーカイブズ学序説』(思文閣出版)には、三次元に対応した整理原則と認識論の研究課題が提示されている。

 卒寿を超えて大著を上梓されたこと自体、驚嘆するほかないが、それに満足されることなく、自身の考えをさらに練磨され、本書において、アーカイブズ学としての中世古文書学の体系を、従来の中世古文書学や中世史料論との対比を通じて、より整序された形で示された。しかも、各論編、個別論文編も用意されているという。古文書学とアーカイブズ学の発展に尽くされた上島氏の業績はまさに金字塔と評してよいが、古稀を迎え、一学徒として老いをいかに生きるかという切実な課題に迫られている我が身にとって、上島氏の飽くなき学問への情熱はその面でも鑑となるものである。三部作の完結を願ってやまない。

  
新しい古文書学とアーカイブズ学のために

 新潟市歴史文化課学芸員 長谷川 伸

 この著書は、著者上島有氏が先に出した『中世アーカイブズ学序説』(二〇一五年四月 思文閣出版、以下『序説』と略称)の続編と位置付けられ、本書のあとがきによれば、本書の「総論編」に続いて「各論編」も予定されているという。筆者は『序説』の書評(全国歴史資料保存連絡協議会編『記録と史料』第二六号 二〇一七年)を書いた縁で、本書の紹介をすることになったようだが、御年九十四歳の上島先生の古文書学とアーカイブズ学に向けられた情熱に、ただただ頭が下がるだけである。

 この総論編は、氏が追求してきた東寺百合文書の「もの」としての文書の段階的整理法から発するアーカイブズ研究と、その成果を踏まえて中世古文書学研究の新段階を切り開き、融合した新しい研究法の提示と言っていい。それだけに、古文書学に対する鋭い眼差しとアーカイブズ学の実践的方法論という研究視点を複眼的に持たないと、上島氏の述べる「新しい中世古文書学」という意味は、理解できないと思われる。

 この総論編を貫く大きなテーマは、歴史学・歴史叙述のための史料学と古文書学・アーカイブズ学の自立的な関係性の構築であろう。氏は、史料の文字面
(づら)だけを追いかけて歴史を叙述するための補助学としての古文書学を痛烈に批判している。それゆえ古文書学の研究史を丹念に辿り、相田二郎・佐藤進一といった古文書の巨頭たちの仕事の本質を見直しつつ、アーカイブズの手法を使ってこれからの古文書学の可能性を探っているのである。

 とりわけ、文書とはアーカイブズのひとつで、「差出人から受取人にある意思の伝達を目的として「かたち」を整えて作成された書面=すなわち「もの」として作成されたものである、という根本的な概念規定。そして文書に永続的な効力というものは存在しない、「伝達」が終われば「一紙片」に過ぎない文書が廃棄されずに残るのは、公験などの証拠機能や歴史叙述のための史料として形を変えながら保存され、二次利用に供されるという文書の特殊的性格によるもの、とすることを提唱されたことなどは、日本にアーカイブズの資料整理法が紹介される以前から、東寺百合文書の段階的な整理法を実現してきた、氏の実践に裏打ちされた成果といえる。

 この著書は、時代別史料論や各時代で完結する史料群研究を対象としてきた研究者には、時代を跨いで伝来するアーカイブズの本質的な考え方を、法律や制度の中でデータや文字面の文書の価値を重視しているアーカイブズの研究者には、文書は「もの」であり、「かたち」「まとまり」「かさなり」が重要な「文書学」の基本であることを学ぶことのできる、真の意味での新しい「古文書学」である。日本型アーカイブズの姿はここに存在する。

※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。