折口信夫と近世文学
高橋俊夫著


ぼんやりとではあるがわたくしは「文学」を求めていたらしい。或る時、「死者の書」に目が留まった。それが折口信夫と邂逅した最初であった……。日本文学の巨人・折口信夫の宇宙に新たな視点から迫る。


本書の構成

はしがき
序 章
  一 「大阪詠物集」のことども/二 折口歌・荷風注/三 凡兆句の折口解について
第一章 西鶴をめぐって
  T 『好色一代男』攷/U 西鶴の俳諧と文体
第二章 洒落本のこと
  一/二/三/大尾
第三章 俳諧談義ところどころ一 ―虫さまざまと「えびす講」―
  一/二/ 三/四/五/六/七
第四章 俳諧談義ところどころ二 ―軽みと木枯らし―
  一/二/三/四/五/番外篇(1) (2)/六
第五章 俳諧談義ところどころ三 ―『菟玖波集』と『犬つくば集』と―
  一/二/三 
終 章 折口の佐渡詠と我が佐渡初遊日記
  初 出/あとがき



ISBN978-4-7924-1405-4 C0095 (2008.4) 四六判 上製本 190頁 本体2400円
近世文学研究から
  「大阪びと」折口信夫の知と実感を描く
國學院大學教授・折口博士記念古代研究所 小川直之
 折口信夫の学問は「古代研究」の大きさのためか、従来、その近世文学論について検討することは少なかったように思う。しかし、折口による文学研究の真骨頂は日本文学史の研究と叙述にあり、近世文学も重視されている。折口文学史の視座は、日本文化に底流する「まれびと」に系譜する無頼漢にあり、その社会史を描いた「ごろつきの話」(全集3)に具体的な姿を見ることができよう。「ごろつきの話」は「うかれ人」「ほかひびと」から始まり、近世のアウトローに至る芸能者論だが、その末尾では隠者文学とごろつきの文学が提携し、これらの洗礼を受けて生まれたのが江戸時代の町人文学であるという。
 それは後に「恋の座」などで論述され、ここで主題となるのが俳諧や西鶴である。高橋俊夫氏の『折口信夫と近世文学』は、手薄だったこの部分を論じた好著で、「大阪びと」として折口が身に付けていた知と実感のあり様を、その近世文学研究から描いている。折口の知と実感は、家人の芸事を寸描した「留守ごと」や家に出入りした元太棹芸者を描いた未完小説「寅吉」、そして歌舞伎評論である『かぶき讃』などからも窺えるが、これを折口の俳諧、洒落本、西鶴理解から具体的に明らかにしているのである。高橋氏は、俳諧の理解には市井の「俗」への精通と再生能力が必要であると説き、こうした視点から折口の近世文学読解を分解し、今まで見過ごしていた重要な点を随所で提示する。とくに折口の性風俗理解についての指摘は興味深い。
 高橋氏の論述は、しばしば主題周辺へと寄り道をし、博識と守備範囲の広さを窺わせるが、それは、硬直化した研究書を超えた軽妙さをもち、読者を惹きつける。なお、氏が本文中で読者に問う折口の「ほうーっとした」というのは、全集2の「若水の話」と「ほうとする話」にある。