幕末期狂言台本の総合的研究 和泉流台本編1
小林千草著


狂言の〝伝承性〟と言語の〝当代性〟に関する示唆に富む資料群である成城大学図書館蔵『狂言集』。シリーズ全4巻のうち、第3巻を刊行する。



■本書の構成

  
はじめに

第Ⅰ部 幕末期狂言台本の書誌的研究と日本語学的・表現論的研究

  第一章 成城〈甲〉本における「ぜあ」 
―その実態と狂言台本としての性格―

  第二章 セリフ展開上から見た成城〈甲〉本の位置 
―主として〈雲形本〉との似より度と言語―

  第三章 成城〈甲〉本「猿座頭」の性格と用語

  第四章 成城〈甲〉本「簸屑」の性格と用語

  第五章 成城〈乙〉本の資料的性格と指定辞「ぜあ」 
―〈雲形本〉〈波形本〉との似より度に注目して―

  第六章 成城〈乙〉本「岩橋」の性格と用語

  第七章 成城〈乙〉本「蜘盗人」の性格と用語
  
  第八章 成城大学図書館蔵『狂言集』2⃣群台本における〈甲〉本・〈乙〉本以外の台本について

第Ⅱ部 幕末期和泉流狂言台本の翻刻

  成城〈甲〉本  「薩摩守」/「木六駄」/「とちはくれ」/「鶯」/「水汲」/「花盗人」/「猿座頭」/「泣尼」/「金岡」/「簸屑」

  成城〈乙〉本  「地蔵舞」/「鏡男」/「岩橋」/「吃」(吃り)/「井井、」/「腥物」(腥もの)/「蜘盗人」(蜘盗人抜書)/「縄ない抜書」/「鬮罪人」(鬮罪人抜書)/「若菜」(若菜
謡)/「歌仙」(六歌仙)

  
あとがき  索引




  ◎小林千草(こばやし ちぐさ)……元東海大学教授 博士(文学)東北大学 佐伯国語学賞・新村出賞受賞




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ISBN978-4-7924-1440-5 C3081 (2019.7) A5判 並製本 514頁 本体5,400円
 

    幕末期狂言台本の総合的研究 和泉流台本編 1&2紹介文 ―幕末期を生き抜く知恵が生んだ新台本群―

 小林千草
 成城大学図書館蔵『狂言集』一四冊の内、大蔵流台本群(『幕末期狂言台本の総合的研究 大蔵流台本編』として二〇一六年一〇月清文堂刊)、鷺流台本群(『幕末期狂言台本の総合的研究 鷺流台本編』として二〇一八年一月清文堂刊)以外の、残る五冊は全て和泉流台本群であると言いたいところであるが、精査を重ねるうち、筆者が〈甲〉本・〈乙〉本・〈丙〉本と名づけた三つの台本のみが和泉流台本と把握してよく、残る二冊は幕末期の和泉流と他流交流のなかでもたらされた複合種の台本とみなされた。

 そこで、和泉流台本編1では、確実に和泉流台本であると推定され、かつ、書体や装丁形態より密接な関係にある〈甲〉本と〈乙〉本を扱い、和泉流台本編2では、〈甲〉本・〈乙〉本とは性格を微妙に異にするものの和泉流台本であることが確実な〈丙〉本、および、和泉流台本そのものではないが、和泉流系狂言役者の元で主として大蔵流狂言役者の協力(時に主導的位置を占めた可能性もある)により書写収集されたと思われる〈丁〉本と〈遠山〉本とを扱うこととした。

 〈甲〉本と〈乙〉本は、宗家や有力弟子筋からはやや距離をもちつつも、台本構成やセリフ構成の点では優れた台本が幕末期まで伝承されてきたものであり、和泉流〈雲形本〉の書写者であり山脇和泉家第七代目であった和泉元業(もとなり)が旧来のものとして一時期許容していた指定辞「ぜあ」が生き生きと使われている曲目があり(〈甲〉本の全て、〈乙〉本の一部)、国語史上も、また、山脇和泉家が名古屋を本拠地とするところから方言的な意味合いをもこめて、注目される。さらに、〈甲〉本・〈乙〉本には、「抜き書き」形態をとるものがあり、役者が上演にあたってその役に関わるセリフ群のみの書写を許可された背景がうかがわれ、現実に活用されていた台本としての〝鮮度〟は極めて高いと言わざるをえない。〈甲〉本・〈乙〉本が〈雲形本〉系の詞章をもつのに対し、〈丙〉本は〈波形本〉系の詞章をもつ。このバランスのよさは、どこから来ているのであろうか。

 一方、〈丁〉本・〈遠山〉本には、元禄期以降、版本「狂言記」シリーズとして刊行され〝読み物〟としても人気のあった『狂言記』『狂言記外五十番』『続狂言記』『狂言記拾遺』などとも深く関わる曲目があり、台本の具体的対照検討は、〈丁〉本・〈遠山〉本の資料的・言語的性格のみならず、筋の流れ(ドラマ展開)やセリフ上の関連を有する他台本の性格や用語・表現までをスポットライト的ではあるがかなり深く照射することが出来た。

 幕末期、能狂言上演の庇護者(パトロン)であった幕府・諸大名から成る幕藩体制瓦解の兆しを敏感に感じ取った各流の底辺に位置する狂言役者たちが、自分たちの生活の基盤としての上演台本としてどのようなものを志向していったかの一班が、〈丁〉本・〈遠山〉本を考察することによって描けたのではないかと考える。

 〈丁〉本・〈遠山〉本に所収された曲ごとに、その様相は微妙に相異し、曲ごとにそれら各流の底辺に位置する狂言役者たちが頭を悩ませ、自己の積年の稽古・伝承から何を主張し何を譲ったかの軌跡をたどることが可能である。結果として生み出された新しい台本は、文明開化以降の明治近代文学にもひけをとらない文学的な質の高さを有しており、尊敬にあたいするものであった。成城大学図書館蔵『狂言集』一四冊のうち、大蔵流台本群・鷺流台本群についで、和泉流台本編1に所収したもの、和泉流台本編2に所収したものが、台本として優れた作品群であり、狂言の〝伝承性〟と言語の〝当代性〟に関する示唆に富む資料群であったことは、研究者としての私の〝幸せ〟 と言ってよいであろう。全てに感謝する次第である。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。