大阪遺産
藪田 貫著



オーストリアの古都グラーツでの「豊臣大坂図屏風」の発見に立ち会い、小学校と連携してなにわ伝統野菜の復元に取組み、ヨーロッパの都市と大学をヒントに、大阪の大学・図書館・博物館を都市遺産として捉えることを提唱、さらに芝居町道頓堀をコンピューターグラフィックスで復元し、NHK「ブラタモリ」にも出演するなど、著者が関西大学を拠点に、大阪の文化遺産に取り組んできた10年間の交流の軌跡を綴る。



■本書の構成


序 大阪遺産への思い

都市と大阪遺産 ―なにわ・大阪の文化遺産と都市再生―
  一 なぜ文化遺産か? (1 文化財と国民  2 世界遺産と文化遺産  3 文化遺産と地域再生) 
  二 都市と文化遺産 (1 夏祭りカレンダー  2 社会的基盤の整備  3 モノの流通と生活文化遺産  4 都市と学芸遺産) 
  三 都市大阪の可能性 (1 大阪と沖縄の文化遺産  2 町づくりと合意形成)

 

Ⅰ 「町人の都」と「武士の町」

大坂の武士の営みを伝えたい 

「政事」と「文事」 ―武士たちの大坂―
  はじめに
  一 武士たちの「政事」 (1 武士はどれ位いたか  2 武士はどこにいたか  3 武士たちの情報) 
  二  「政事」と「文事」 ―日記は語る ―  (1 大坂町奉行新見正路と大塩平八郎  2 伊勢長島藩主増山雪斎と木村兼葭堂  3 大坂代官竹垣直道と『浪華勝概帖』) 
  三 「文事」の交流 (1 懐徳堂・今橋学校と武士  2 泊園書院と豊岡藩家老猪子清)
  おわりに


江戸時代の大坂の位置づけをめぐって ―幸田成友・宮本又次と『浪速叢書』―
  はじめに 
  一 近世大坂を見る視点
  二 「天下の台所」と大坂(その1)
  三 「天下の台所」と大坂(その2)  
  四 新発見「浪花名所図屏風」の紹介 
  おわりに



Ⅱ 大阪の学問所

泊園書院と初代院主藤澤東畡 ―大阪と高松を結ぶ―
  一 関西大学と泊園書院
  二 大阪での名声高まる
  三 大阪と高松を結ぶ
 

藤澤東畡先生のことを君たちに伝える 

懐徳堂と泊園書院 ―私塾が果たした役割と大学―
  はじめに
  一 学校とは何か 
  二 近代大阪の私塾と大学 
  三 近世大坂の漢学塾
  四 競合する私塾
  五 明治・大正期の泊園書院
  六 「文科大学不在」の時代
  おわりに
 


Ⅲ 大阪の都市遺産

大阪の文化力
  一 大阪のキーワード 
  二 文化の世代間ギャップ 
  三 受け継ぐ文化遺産 
  四 都市遺産と景観
 

大阪都市遺産と道頓堀 ―大阪の劇場大工・中村儀右衛門資料の紹介を兼ねて―
  一 道頓堀との縁
  二 CG「道頓堀五座の風景」と道頓堀商店会 
  三 「大阪の劇場大工中村儀右衛門資料」について
 

山田伸吉と松竹座  ―肥田晧三氏に聞く― 

明日の図書館・明日の大阪 
  一 特別展「大阪の都市遺産と住友 ―中之島図書館と住友文庫―」
  二 明日の美術館VS明日の図書館 
  三 ナチスと図書館炎上の記憶 ―ドイツの大学と古書市―
  四 「天下の台所」大阪の文化遺産 ―図書館を愛する人々―
  五 中之島のシンボル ―図書館を愛する人々―
  六 恩人たちを偲ぶ ―遺志を受け継ごう―
  七 明日の図書館に向けて
 


Ⅳ 近郊の文化遺産

平野屋新田会所跡の語るもの ―その意義と課題―
  はじめに
  一 新田の意義 (1 さまざまなタイプの新開地  2 新田の共通点) 
  二 平野屋新田会所跡の意義 (1 新田の管理施設  2 新田村の拠点  オーナーの別荘)
  おわりに
 

「古くてモダンな家」 ―吉村家の人びとをめぐる交流―
  はじめに
  一 吉村邸と吉村家の歴史 (1 政所  2 兵と農の間)
  二 明治維新後の吉村家 (1 近代化と古典  2 昭和の吉村邸)


楠木氏伝承地とは何か ―桜井駅跡を中心に―
 
 はじめに ―伝承・伝承地と史跡― (1 伝承地とは  2 赤松氏伝承地) 
  一 楠木氏(楠公)伝承地 (1 楠木氏伝承地と湊川神社  2 楠木正成と「桜井の別れ」) 
  二 伝承と伝承地 (1 墓碑「嗚呼忠臣楠子之墓」  2 「桜井の別れ」の絵画化  3 詩吟の世界  4 松の木一本で決まる?) 
  三 明治維新後の「桜井駅跡」 (1 王政復古と南朝遺跡  2 史蹟指定への道  3 戦意高揚と町づくり)
  おわりに ―史跡としての宿題は残った―
 


Ⅴ 大阪を離れて

天草で〈周縁〉を考える ―フィールドワークの余韻―
  一 風土病 
  二 西海地域とキリスト教 
  三 「五足の靴」と鈴木三公像 
  四 祭り
 

徳島の遺産・地域の力 ―史跡・文化財と歴史資料―
  一 周回遅れのトップランナー 
  二 玉磨かざれば… 
  三 〈思い出〉という力 
  四 歴史資料の価値
 

近世日本における儒教と儒葬墓について ―徳島藩蜂須賀家の万年山儒葬墓を中心に―
  はじめに 
  一 私塾と儒葬墓 (1 藤樹書院と墓所  2 平野郷の含翠堂と神光寺墓所) 
  二 大名家墓所と儒葬墓 (1 尾張藩主徳川義直廟(愛知県瀬戸市)  2 岡山池田家和意谷墓所(岡山県備前市吉永町))  
  三 徳島藩蜂須賀家万年山墓所 (1 興源寺と万年山  2 大名家族のパノラマ  3 残された課題) 
  おわりに 



Ⅵ ヨーロッパで考える

「都市民」になるということ ―半年のルーヴェン暮らし―

「屏風」とヨーロッパ ―グラーツ・ローマ・エヴォラ・ライデン―
  一「豊臣家大坂図屏風」の発見 
  二 ヨーロッパに渡った屏風 ―ローマとエヴォラ―
  三 近世の対外関係と屏風
 

EUと日本 ―都市と大学―
  はじめに
  一 国家 ―一八三〇年と一八六八年― (1 小国主義  2 正岡子規と黒田清輝  3 万国博覧会/パリとリエージュ) 
  二 歴史と言語 (1 ワロン(フランス)語とフラマン(オランダ)語  2 〈上昇〉思考と〈下降〉思考) 
  三  都市と大学 ―KUルーヴェンと関西大学  (1 KUルーヴェン  2 関西大学) 
  おわりに
 



  ◎藪田 貫
(やぶた ゆたか)……1948年、大阪府松原市生まれ 関西大学名誉教授 兵庫県立歴史博物館長 文学博士(大阪大学 1992年)


 
◎おしらせ◎
 『歴史地理教育』№920(2021年2月号)「読書室」欄に紹介が掲載されました(岩本賢治氏執筆)。



ISBN978-4-7924-1467-2 C0021 (2020.7) 四六判 上製本 口絵4頁・本文360頁 本体3,200円
   『大阪遺産』によせて ―「文化遺産」は人である―
  藪田 貫  
 わたしが生まれた頃の南大阪は、純農村でした。周囲の田畑が暮らしの場であり、遊び場でもありました。小学校に入り、子供の足で徒歩二〇分ほどの学校に通ったのですが、中学・高校と進学するたびに少しでも生家から離れた学校を選びました。無意識に都会志向が育っていたのです。その結句、二〇歳を前にして大阪大学に入りましたが、通学する学舎が大阪市内でなく豊中にあることに愕然としました。ところが、入学して一年後に「大学紛争」が起き、中之島にある医学部や理学部に行く機会が生まれたことで、そこが、思い描いていた大阪大学だと知ったのです。わたしにとっては、豊中ではなく大阪市内にあってこそ大阪大学であったのです。そして中之島図書館に通うことで、卒業論文を書き上げました。

 卒業論文のテーマは、農村でした。最初の調査は、通学した中学校のすぐ傍にある羽曳野市の吉村家。戦前には国宝に指定され、戦後、重要文化財に再指定された大阪を代表する旧家です。その後も農村研究を続けましたが、それを通じて多くの実りを得ました。単著を出し、学位を得、さらに地域史や女性史、武士へと研究テーマの広がりもありました。しかし都会志向が、研究テーマに繋がることはありませんでした。

 ところが一九九五年秋、ベルギーのカトリック・ルーヴェン大学に滞在することで変化が生じました。ウイリー・ファンデバレ教授というパートナーを得ることで、大学都市ルーヴェン行きが癖になり、生まれた変化は助長されました。渡航回数を重ねることでわたしの体内に、「大学と都市」という関心が生まれたのです。少年期の都会志向が、異郷の地ルーヴェンを経由することでわたしの学術的な関心となったのです。そこから「大阪遺産」に向けての離陸は、ほんのわずかの飛躍で充分でした。

 二〇〇五年四月、関西大学なにわ・大阪文化遺産学研究センターがスタートし、都市遺産研究センターと継承されることで、退職までの一〇年間、「大阪」と「文化遺産」に取り組みました。その間に出会った人々の多士済々振りには、驚きを禁じ得ません。「文化遺産」の旗を掲げ、よくぞ大学の外に出たものだ、と何度思ったことでしょうか。文化遺産は〈人〉である―が、信念になりました。たくさんの人の思い出がいま、去来します。

 『大阪遺産』は、歴史研究者としてのわたしの思索の跡でもありますが、同時に、「文化遺産」を通じた交友の記録でもあります。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。