■近世後期隠岐嶋流人の研究 | |||||
松尾 壽著 | |||||
市井に生きる庶民男女の様々な犯罪──博奕、傷害、女犯等の実相。処罰が累犯を必然にして「遠島」に至る近世国家の法制と運用の実態。著者は、流人一四三人の「科口書」など隠岐嶋遺存文書を発掘し、流人の居村での調査を行うことで、これらの問題を究明する。さらに、百姓一揆・「大塩の乱」関係者の流人、女性流人や流人の結婚事例を分析し、流刑生活の実態を生業・住居・結婚・役務などから多角的に明らかにしていく。 ■本書の構成 『近世後期隠岐嶋流人の研究』に寄せて…………小林准士 はじめに――流刑の島・隠岐への道 一 流刑地隠岐国 二 流人西条左衛門の罪状 三 遠島の道――京都から隠岐へ(その一、瀬戸内海) 四 遠島の道――京都から隠岐へ(その二、日本海) 五 西条左衛門の流人生活 第一部 近世後期隠岐嶋流人の罪と罰 第一章 近世後期隠岐嶋流人の罪状 ――近世後期社会の犯罪と刑罰―― はじめに 一 流刑地隠岐 二 『御定書百箇条』の遠島 三 近世後期隠岐嶋島前流人の罪状 四 流人の罪状と判決の実態 五 隠岐流人前科の刑の軽重 おわりに 第二章 日本近世刑罰体系下の遠島のランキング はじめに 一 江戸時代自由刑の序列 二 追放刑と御構地徘徊罪 三 江戸時代庶民の遠島観 四 流刑地隠岐における流人に対する処遇 おわりに 第三章 寛政五年備後国神石郡時安村百姓一揆と遠島について はじめに 一 時安村の概要 二 寛政四年の風害 三 一揆の展開と結果 四 一揆準指導者の遠島刑 五 一揆の性格 おわりに 第四章 大塩の乱関係者の遠島について はじめに 一 乱関係者の遠島 二 十五歳未満の流罪 三 隠岐国への流罪 おわりに 〔補注〕大塩の乱と隠岐 第五章 但馬国伊賀谷村の山論と庄屋平右衛門の遠島 はじめに 一 郷野村と伊賀谷村との山論 二 争論の変質と伊賀谷村の敗北 三 平右衛門の流人生活 四 家族等による赦免運動 おわりに 第六章 近世隠岐の女性の流人 ――近世女性の犯罪と刑罰―― はじめに 一 近世隠岐の女性流人 二 女性流人の罪状 三 罪状の特質 四 近世女性の犯罪と刑罰――むすびにかえて 第七章 寛政期畿内幕領における贈収賄とその処罰 はじめに 一 検見廻村における贈収賄 二 贈収賄の摘発とその吟味 三 贈収賄罪処罰の特徴 四 贈収賄粛清の意義 おわりに 第二部 隠岐嶋流人の生涯と生活 第八章 流人の結婚について はじめに 一 流人の結婚の実例 二 結婚した流人の前歴と罪状 三 流人の増加と質の低下 四 流人妻帯の効果 五 赦免と離婚 おわりに 第九章 文政九年隠岐国美田村火災と流人の居住空間 はじめに 一 流人の住居についての諸見解 二 文政九年美田村の火災 三 火災における流人の役割 四 美田村火災と流人の居住空間 おわりに 第十章 流人の娘の画像をめぐって はじめに 一 「流人」小泉栄十郎について 二 従来の小泉栄十郎像への疑問 三 小泉庄司の遠島にいたる経緯 四 事件に対する幕府の見方 五 流人小泉庄司と小泉栄十郎 おわりに 流人小泉庄司関係隠岐島遺存史料 第十一章 流人銘々伝 一 流人源次郎のこと 二 流人松之助のこと 三 新蔵の一生と法制史上の若干の問題 補論 近世後期隠岐嶋の流人関係史料 1 流人平右衛門の遺書「国之家土産」について はじめに 一 平右衛門について 二 「国之家土産」の構成 三 「国之家土産」全文 2 流人西条左衛門の軌跡 ―流人西条左衛門関係隠岐島遺存史料― はじめに 一 西条左衛門の出自と罪状 二 河井雲和事件の結果 三 流人の護送 四 西条左衛門の流人生活 おわりに 流人西条左衛門関係隠岐島遺存史料 あとがきにかえて(竹永三男) ◎松尾 壽(まつお ひさし)…………島根大学・大阪樟蔭女子大学名誉教授 ◎おしらせ◎ 『女性史学』第31号(2021年12月号)に書評が掲載されました。 評者 倉知克直氏 『日本歴史』第891号(2022年8月号)に書評が掲載されました。 評者 西島太郎氏 『部落問題研究』第242号(2022年9月号)に書評が掲載されました。 評者 茂木陽一氏 |
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ISBN978-4-7924-1473-3 C3021 (2021.8) A5判 上製本 438頁 本体11,000円 | |||||
刊行にあたって |
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本書は、松尾壽氏の隠岐流人研究論文の中、主要なものを集成・編集したものである。松尾氏は、本書の構成を整え、入稿原稿を準備しているさなかの二〇二〇年六月、体調を崩して入院された。その後、回復・退院し、現在養生中である。この事情から、本書の刊行実務は、島根大学で松尾氏の同僚であった竹永三男が担当することになった。 松尾氏は、隠岐諸島に遺存する「科口書」「村々流人預帳」などの流人関係文書群の調査、配流された流人の元の居村での史料調査などを積み重ねて個別論文を発表してきた。今回、本書刊行に際して「序論」を書き下ろすはずであったが、前述の事情でそれが叶わなくなったた。そこで、松尾氏の「序論」に代わる「『近世後期隠岐嶋流人の研究』に寄せて」を小林准士氏(島根大学教授)に執筆していただいた。その中で小林氏は、 松尾氏はこれら各地の流人に関する研究を隠岐島内の史料調査を通じて発展させた上で、幕府法制に関する先行研究から得られた知見にもとづき事例分析を進めることによって、改めて近世国家が採用し続けた追放刑及び遠島刑の実態とその問題点を浮かび上がらせている。この点が本書の主な研究成果と言えよう。 と述べておられる。小林氏に本書の成果と課題、研究史上の位置を的確に示していただいたことで、松尾氏の隠岐流人研究の特長を明快に理解していただけるようになった。 松尾氏が隠岐流人研究に取り組み始めた一九八〇年代は、米軍厚木基地で行われた空母艦載機の夜間着陸訓練による騒音問題が激化したため、代替訓練施設が三宅島に設置されようとした時期と重なっていた。この代替訓練施設の設置を、三宅島民に対する差別だと捉えていた松尾氏は、当時進めていた流人研究の問題意識を次のように語っていた。 三宅島には、もともと虐げられてきた歴史がある。流人の土地として、犯罪者を押しつけられ続けてきたんだけど、じゃあ、押しつけられる島の人の気持ちはどんなものかと。いつもそれを考えながら、隠岐の流人研究をしている。研究しているうちに、島の人達が迷惑を迷惑だけに終わらせないで罪人を包容してしまう面のある事がわかってきた。とにかく自然が厳しいから、流人も島民も助け合って生きていかなくてはならない。凄く人情味があるんだよ。こと隠岐に関しては、流人と島民はそういう関係にあったらしい。(「松尾先生インタビュー」『歴史学通信』第21号、島根大学法文学部歴史学学生研究室、一九九七年六月) ここで松尾氏が研究室の学生に感慨を込めて語っていた隠岐島民および隠岐の地域社会と流人の関係は、本書収録の各論文の中で、実証分析の結論として述べられている。 一九九六年末までに行われたと思われるこのインタビューから二十五年を経た今年、松尾壽氏の隠岐流人の歴史的研究がようやく一書にまとまって刊行される。ぜひご一読いただきたい。 |
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(島根大学名誉教授 竹永三男) |
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※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。 |