幕末・明治期の廻船経営と地域市場
阿波国撫養山西家の経営と地域
森本幾子著


第46回とくしま出版文化賞受賞
日本経済史研究の〈一つの波〉を担う著者が、幕末・明治期に廻船経営で活躍し、カムチャッカ漁業にまで進出した山西家の活動を実証的に追った著作。幕末・明治前期における市場構造の特質を、新興商人の経営を通して中央市場および地域市場との関係から明らかにし、さらに、これら商人の経済活動と地域文化創出の関係についても考察を試みる。




■本書の構成


序章 本書の課題と方法
  はじめに
  第一節 幕末期の商品流通・市場論に関する研究
  第二節 課題と分析視角
  第三節 本書の構成

第一部 徳島藩の商品流通統制の特質と山西家

第一章 十八世紀後期~十九世紀の商人と徳島藩の流通統制策 ――山西家台頭の社会経済的背景――
  はじめに
  第一節 主要移出品(蔵物)の流通統制と商人の役割
  第二節 主要移入品(納屋物)の流通統制と商人の役割
  おわりに

第二章 十九世紀~二十世紀の経済と山西家
  はじめに
  第一節 阿波国撫養の経済的特徴と山西家
  第二節 山西庄五郎家について
  おわりに
  山西家関連年表

第二部 廻船経営と中央市場の役割

第三章 幕末期の中央市場と廻船経営
  はじめに
  第一節 幕末期阿波国における廻船の動向
  第二節 山西家の廻船経営からみた商品流通の特質
  第三節 廻船経営からみた流通構造と資金出入状況
  第四節 廻船経営と中央市場の金融機能
  おわりに

第四章 幕末期中央市場の金融機能と商人経営
  はじめに
  第一節 幕末期における金融関係
  第二節 山西家から大坂両替商への「渡し金」(入金(「かし」金)内訳
  第三節 大坂両替商からの山西家による「受取金」(出金「かり」金)内訳
  おわりに

第五章 明治前期の廻船経営と商品流通
  はじめに
  第一節 明治前期の商品流通と廻船
  第二節 山西家の廻船経営からみた商品流通の特質
  第三節 資金面からみた廻船経営の特質
  おわりに

第三部 地域市場の構造と地域経済

第六章 幕末期阿波国における地域市場の構造
  はじめに
  第一節 商品生産地域からの集荷状況
  第二節 商品需要地域への販売状況
  第三節 商品の決済関係
  おわりに

第七章 幕末・明治前期の商人と地域経済
  はじめに
  第一節 肥料・米穀類と地域経済
  第二節 北前船への資金的対応
  第三節 撫養における肥料市場の展開
  おわりに

第八章 明治前期における情報交換と商人 ――「日記」「書翰」にみる山西家徳島支店と北前船との肥料取引――
  はじめに
  第一節 明治前期の徳島船場肥料問屋と山西家支店
  第二節 徳島船場における肥料取引の特質
  第三節 徳島肥料問屋と北前船
  おわりに

第四部 商人による奉納と地域文化の創出

第九章 阿波国商人と全国寺社への奉納 ――取引先地域との関係の構築――
  はじめに
  第一節 阿波国商人による全国的寺社への奉納
  第二節 太平洋地域の寺院への奉納――志摩国鳥羽正福寺への奉納
  第三節 日本海地域の寺社への奉納――商取引・婚姻・贈答関係をふまえて
  おわりに

第十章 阿波国商人の奉納と地域 ――商品生産地域・消費地域との関係の構築――
  はじめに
  第一節 山西家と地域の神社
  第二節 山西家と地域の寺院
  第三節 奉納から地域文化の創出へ
  おわりに

補論 ロシア領カムチャッカにおける漁業経営
  はじめに
  第一節 明治後期~大正期における経営転換の契機
  第二節 カムチャッカにおける山西家の漁業経営

終章 結  語


  ◎森本幾子
(もりもと いくこ)……1974年徳島県生まれ 関西大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了 現在、尾道市立大学経済情報学部准教授


 
◎おしらせ◎
 徳島新聞 「とくしま出版録」欄に本書の紹介が掲載されました(2022年2月18日) 尾野益大氏執筆

 『社会経済史学』第88巻第3号(2022年11月号)に書評が掲載されました。 評者 高橋 周氏

 『日本歴史』第897号(2023年2月号)に書評が掲載されました。 評者 中安恵一氏

 『経営史学』第57巻第4号(2023年3月号)に書評が掲載されました。 評者 東野将伸氏


ISBN978-4-7924-1482-5 C3021 (2021.10) A5判 上製本 638頁 本体14,500円

  
森本幾子『幕末・明治期の廻船経営と地域市場 阿波国撫養山西家の経営と地域』の刊行によせて

兵庫県立歴史博物館館長・関西大学名誉教授 藪田 貫  

 関西大学文学部教授であった時期、大学院の演習に「セロリの会」という名を付けていた。正規の科目にとどまらない自主的な研究会の役割を与えたいと考えたからで、「参加は自由」「議論はすきなだけ」というのが約束事であった。そこには、森本幾子をはじめ一九七〇年代生まれの院生が多数、集った。彼女の報告はつねに、郷里徳島の撫養(むや)山西家に関するモノであった。そして必ず、本城正徳・斎藤善之・中西聡・西向宏介・中川すがねら一九六〇年前後生まれの若手研究者の業績が参照されていた。先行する研究者の跡を、必死になって追う著者の姿があった。当時、近世から近代にかけて日本経済史研究に、〈一つの波〉が起きており、その中に森本幾子がいることがよく理解できた。その成果は二〇〇五年、博士学位請求論文として結実したが、本書は、その出版物ではない。

 その後、ポスドクの常として「生活と研究」のために、文部科学省の資金を得て設立された関西大学なにわ大阪文化遺産学研究センターの主任研究員を勤めたが、そこで出会いがあった。外部から招聘した研究者の一人、大阪市中央卸売市場で長年、魚の仲買をし、退職後、資料調査室に勤めていた酒井亮介氏(故人)との出会いである。市場のセリで鳴らした野太い声の持ち主で、魚市場史の専門家として著書もある、生粋の大阪人であった。文楽をこよなく愛する好々爺であった。

 彼との出会いを含むセンターでの五年の歳月は著者に、「経済と文化」を掛け合わせてみようと思わせる機会となり、山西家はあらたにその視点から捉え直されるようになった。それはわたしに、戦後歴史学の出発点にあった大塚史学の「経済と宗教」を想起させる。

 さらにその後、瀬戸内の港町尾道の公立大学に職を得、率先して地域連携事業を進めるなかで、六〇〇頁という大著が上梓されることになった。研究の軌跡を見てきた者として喜びを禁じ得ない。

 戦後の日本経済史研究には、尼崎の氏田家・堺の高林家・伊丹の小西家・松阪の長谷川家・貝塚の廣海家など個別の家の名とともに記憶される研究という一筋の流れがある。本書は、その伝統を受け継ぐ最新作である。本は、読者を得てはじめて意味を成す。本書がひろく読まれることを願う。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。