抄物の語彙と語法
山田 潔著


近代日本語への転換期とされる室町期の言語資料として、抄物は重要な位置を占める。推量の助動詞「べし」は基本的に「うず」へ変移したものの、多様な複合辞にも置換されている。副助詞「ばし」は係助詞とすべきで、通説の疑問・禁止・命令以外にも多様な用法が存在する。また、「緩怠」「進退」の意味・用法を、抄物の他に『羅葡日対訳辞書』などの用例も交えて分析するなど、多岐にわたる日本語学研究。




■本書の構成


第一章 推量の助動詞類の考察
 第一節 『両足院本毛詩抄』における「う」「うず」の用法
 第二節 抄物における助動詞「べし」の変容 ――『毛詩聴塵』『両足院本毛詩抄』の本文比較――
 第三節 『玉塵抄』における「らう・つらう・うずらう」の用法

第二章 副助詞類の考察
 第一節 抄物における「だに」「だにも」「さへ」の用法(Ⅰ)
 第二節 抄物における「だに」「だにも」「さへ」の用法(Ⅱ)
 第三節 『天草本平家物語』における「だに(も)」「さへ(も)」の用法
 第四節 抄物における助詞「ばし」の構文論的考察
 第五節 『玉塵抄』における「まで」の終助詞

第三章 『玉塵抄』の表現
 第一節 『玉塵抄』の疑問表現 ――「か・ぞ・やら」の用法――
 第二節 『玉塵抄』の並列表現 ――「つ」「たり」の用法――
 第三節 『玉塵抄』の勧誘表現 ――「〜たらば良からう」「〜て良からう」――

第四章 『玉塵抄』の語彙
 第一節 抄物の語彙
 第二節 『玉塵抄』の漢語 ――「緩怠」――
 第三節 室町期の漢語「進退」
 附 節  『キリシタン版日葡辞書』概要

第五章 古文解釈の試み 六題
 「しづ心なく花の散るらむ」――「いぶかしさ・驚き」の「らむ」/
 「泡をか玉の消ゆと見つらむ」――複合辞のとらえ方/
 「渡り果てねば明けぞしにける」――確定順接表現の構文論/
 「思ひのごとくも、のたまふ物かな」――文脈の理解/
 「わらうだとりいでむかひて」――「伴大納言の事」の読解/
 「そのし給ふやうなる事はし給き」――丁重語「給ふる」の用法/

 本書と既発表論文との関係
 あとがき
 索 引



  ◎山田潔
(やまだ きよし)……昭和女子大学名誉教授



 著者の関連書籍
 山田 潔著 玉塵抄の語法

 山田 潔著 中世文法史論考

 山田 潔著 抄物語彙語法論考



ISBN978-4-7924-1493-1 C3081 (2021.12) A5判 上製本 338頁 本体11,000円

  
抄物資料から捉えた室町時代の語彙・語法の研究

東洋大学名誉教授 坂詰力治  

 長年、言語資料としての抄物研究に取り組んでこられた山田潔氏が、この度四冊目の論文集『抄物の語彙と語法』を上梓するにあたり、氏が東洋大学で学位を取得されたご縁で推薦の辞を乞われることとなった。そこで、本書の中で、私が興味を抱いた項目の幾つかを紹介し、推薦文としたい。

 第一章は推量の助動詞類の考察である。「べし」が室町期に「うず」に変移したことは山田氏がつとに指摘された事例であるが、「べし」が一律に「うず」に変わったのではなく、室町末期において、たとえば「べからず」の不可能の意味は「う(ず)やうがない」に、当然の否定の意味は「う(ず)ことでない」に、否定推量は「さうにない」に置換されるなど、分析的な表現に変容していることを指摘している。

 第二章は副助詞類の考察である。「ばし」は副助詞に分類されるが、格助詞ばかりではなく、接続助詞に下接する点などから、係助詞に入れる方が適当であること、また、疑問・禁止・命令を表す文に用いられるとするのが通説であるが、推量・断定・仮定など広範囲の文末用法の認められることを明らかにしている。

 第三章は『玉塵抄』の表現のうち疑問・並列・勧誘表現について分析したものである。ここで詳しく紹介する余裕を持たないが、勧誘表現については「〜たらばよからう」「〜てよからう」の意味・用法の違いが的確に分析されている。

 第四章は語彙を扱っている。その中で「身代」の語源として橋本進吉博士の指摘された「進退」については、広範囲の抄物の用例を分析している。橋本進吉博士は体言「進退」から「身代」の意味が派生したとされるが、体言「進退」から直接「身代」の意味が派生したのではなく、対象を意のままに扱う意味の他動詞「進退する」から「所有(物)」の意味が生じたとする。「緩怠」が『日葡辞書』に「狼藉」と同意としているが、「緩怠」がどのような経緯で「狼藉」の意味に変化したのか、「緩怠」と「狼藉」とは意味用法がどのように異なるのかを、『羅葡日対訳辞書』の用例も交えて抄物の多数の用例から、丹念に辿っている。

 第五章「古文解釈の試み 六題」は、廃刊となった『月刊国語教育』(東京法令出版)に、二〇〇三年四月から半年にわたり連載した論文の再録である。「しづ心なく花の散るらむ」は「擬喚述法」であり、「落ち着いた心もなく散っていることだよ」と解し得ることなど、文法や文脈を踏まえた解釈が、その根拠となる用例とともに、提出されていて説得力がある。山田氏は中学・高校の時、三人の国語教師に巡り合い、日本語研究の道を選ばれた由であるが、この第五章は、山田氏にとって恩師に提出した答案を意味するものといえようか。

 全編にわたり有益な用例を多数掲げ、丹念な分析を試みた結果、多くの新説が提出され、示唆に富むものとなっている。本書を通して真摯な姿勢で伝統に支えられた日本語研究に取り組むことの大切さを読み取ってほしいと願い、本書を推薦する次第である。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。