十八世紀から十九世紀へ
流動化する地域と構造化する世界認識
浪川健治編


近年、フランス革命から第一次世界大戦までを「長い十九世紀」とする史観が有力となっている。その十八世紀と「長い十九世紀」の狭間にあって、本州アイヌ等の異文化受容と「同化」、民衆の移動統制の緩和と再興された大名の御国廻を名目とする海防視察、「皇国」の自覚やキャフタ条約準備期の康熙帝の対応に範をとった対露貿易論等、内国での社会変化と対外関係の緊迫化がもたらす世界認識の構造化と先覚者の対応に注目する。




■本書の構成


  本書を編集するにあたって ………… 浪川健治

第Ⅰ部 列島北域の異文化受容と「同化」

  1 北奥社会の変容と海峡地域の形成 ―人・ものの海峡往来を通して― ………… 瀧本壽史

  2 津軽アイヌは宝暦六年に「同化」されたか ―近世における少数民族集団(ethnic group)の歴史的位置― ………… 浪川健治

第Ⅱ部 民衆移動と統合の論理

  1 労働力移動をめぐる過渡期としての文化・文政期 ―文政期元結一件から見る松代と飯田― ………… 速渡賀大

  2 大名巡見時における上級家臣との関係 ―萩毛利家における「御国廻」を事例に― ………… 根本みなみ

第Ⅲ部 構造化する世界認識

  1 大槻平泉の対外認識 ―『経世体要』にみる内憂と外患― ………… 阿曽 歩

  2 馬場為八郎の『魯西亜来聘紀事』について ………… 楠木賢道

  あとがき ………… 浪川健治




  ◎浪川健治……筑波大学名誉教授


ISBN978-4-7924-1495-5 C3021 (2021.12) A5判 上製本 300頁 本体8,200円

  
近世後期の捉え方 ――浪川健治氏の新編著を推す

北海道大学教授 谷本晃久  
  

 むかしむかし、平成も初めの頃のはなしである。東京・上野の博物館で持たれていた、佐々木潤之介氏を囲む勉強会の末席を汚していたことがあった。といっても、変革主体論の勉強会ではない。その座の中心には浪川健治氏や佐々木利和氏がおられ、近世の文化や政治に関する自由な懇話会といった趣の集まりだったように思う。

 その席で、浪川氏が「辺縁」という概念を示されていた記憶がある。近世日本社会の特質を、対外関係を含む地理的・政治的周縁にみてとろうとする、辺境論ではない新たな分析の視座を模索される『近世日本と北方社会』の著者の姿勢は新鮮であった。浪川氏はその後、研究の拠点を青森、次いで筑波に移されたが、ご自身の精力的な御研究はもとより、青森県史編さん事業や大学教育の場等で構築なさった人脈を通じた共同研究にも尽力されてきた印象がある。『東北』の著者である河西英通氏らとの協業を含む、多くの編著書の存在は、それを表している。

 本書は、浪川氏による最新の編著書であり、同時に、共同研究の新たな成果である。氏はかつて、英国の歴史家・ホブズボームの「The Long 19th Century:長期の一九世紀」論を日本近世史に応用した共同研究を行い、世に問われたことがある。その際、実証のフィールドとして多く取り上げられたのが、北奥や「東北」であった。本書は、こうした成果を踏まえブラッシュアップされた仕事としても読むことができそうだ。

 ただし本書は、第Ⅰ部が焦点を当てる北奥(「列島北域」という概念で括っている)だけがフィールドとされているわけではない。それは本書が、氏らの編まれた別冊『環』二三号「江戸―明治 連続する歴史」(二〇一七年)の延長線上になったという経緯からも窺うことができる。第Ⅱ部では信州と防長が、第Ⅲ部では対外認識の所在が取り上げられる。焦点のあてかたにより、「辺縁」性は地域意識や対外認識の所在にも見出され、そこから近世後期という時代の特質を豊かに見通すツールが示されていると読めそうだ。通読してこそ得られることの多い、論集形式の著作の醍醐味である。

 もちろん、個別の論考それ自身も魅力的なラインナップで構成されている。たとえば第Ⅰ部からは浪川氏らによる最新の本州アイヌ論に学ぶことができるし、第Ⅱ部は藩研究の一環として、第Ⅲ部は対外思想史や書物研究の専論としても読むことができ、それぞれ興味深い内容を湛えている。

 近年の日本近世史研究の潮流をみわたすと、たとえば家斉将軍期の画期性に目を向けた検討が試みられるなど、「長期の一九世紀」論の意識されるべき仕事が重ねられつつある印象が深い。本書は、こうした潮流に関するフロントランナーの編まれた新たな果実であり、幅広い読者に読まれる価値のある一書として、お薦めする次第である。
※所属・肩書き等は、本書刊行時のものです。